プラクティカル・マジック

1998/11/30 よみうりホール
サンドラ・ブロックとニコール・キッドマンが現代の魔女を演じるコメディ。
配役は豪華なのに、なぜこんなにつまらないんだ!by K. Hattori


 17世紀のアメリカ。自分を裏切った男の子供を産んだ美しい魔女は、自分の血を引く娘たちに恋をした男が不幸になるように呪いをかけた。それ以来、魔女の血を引くオーウェンズ家の女たちは、結婚しても幸せは長く続かず、夫は急死して必ず後家になる運命だ。サリーとジリアンの母は、そんな自分の運命を嘆きながら、夫の後を追うように死んだ。幼い姉妹は叔母たちの家に引き取られ、魔女修行を積みながら美しい娘に育っていく。やがて時が流れ、サリーは町の男と結婚して娘をふたり生み、ジリアンは町を出て恋人ジミーと暮らしている。離れていても姉妹の心はひとつ。ところがある日、ジリアンはジミーに暴力を振るわれてサリーに助けを求め、駆けつけたサリーは誤って彼を殺してしまう。ふたりは魔法でジミーを蘇らせようとするのだが……。

 サンドラ・ブロックがサリーを演じ、ニコール・キッドマンがジリアンを演じる異色の顔合わせ。ふたりの叔母に扮するのは、『私に近い6人の他人』『スモーク』のベテラン女優ストッカード・チャニングと、'80年代にウディ・アレン作品の常連で、新作『モンタナの風に抱かれて』にも出演しているオスカー女優ダイアン・ウィースト。行方不明になったジミーを追う刑事を演じているのは、『マイケル・コリンズ』や『アサインメント』のエイダン・クイン。これだけの顔ぶれが集まって、なぜこんなにつまらない映画になるのか疑問だ。

 僕はこの物語を、フェミニストの視点から見た現代の魔女物語だと読み取った。男に捨てられ、ひとりで子供を産み育てた女の話からはじまり、結婚して子供を設けるものの、すぐに夫を亡くすことが運命付けられている女たちが何人も登場する。この世に未練を残して化けて出るのが男で、最後に問題を解決するのは女たちの連帯によるパワーだ。それに比べると、この映画に登場する男性は、全員がすごく影が薄いのです。物語は常に女性たちがリードし、男性は物語の飾りに過ぎない。原作はアリス・ホフマンという女流作家で、脚本と共同製作にもロビン・スウィコードという女性が入ってます。この映画はどうせなら女性に監督させ、女性の手による女性のための映画にすればよかったのです。ところが、映画の語り口は普通のラブ・コメディ。女たちの強さやしたたかさより、女たちの弱さや優柔不断さをクローズアップしてしまった。これがまったく似つかわしくない。

 庭に作ったハーブからさまざまな薬を作る魔女たちは、大地の女神の力を媒介する存在です。その土地にどっしりと根を下ろし、大地から栄養を吸い取って地上に生い茂る。それがこの映画で描かれている魔女の姿でしょう。ところがこの映画のサリーとジリアンは、それに反したキャラクターになっている。ふたりが土地に根を下ろさず、ほとんど移動してばかりいるのが問題。映画の最後でも、ふたりが土地に定着したかどうかは明確に描かれていない。最初から最後まで中途半端なラブ・コメディでは、この物語本来の持ち味が死んでしまいます。

(原題:PRACTICAL MAGIC)


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