R.I.P.
ジョー・コールマンの肖像

1998/12/15 アップリンク・ファクトリー
グロテスクな絵で知られる画家ジョー・コールマンのドキュメンタリー。
エキセントリックな人物のナイーブな内面を描く。by K. Hattori


 ニューヨークで活躍する異才の画家、ジョー・コールマンのドキュメンタリー。監督は『エデンへの道』のロバート・エイドリアン・ペヨだ。『エデンへの道』はブダペストでひとりの解剖医を取材したドキュメンタリーで、主人公は寡黙な常識人であり、よき家庭人だった。それに対して、ジョー・コールマンという人は明らかに変人。かつては過激なパフォーマンスで何度も警察ざたを起こし、麻薬に溺れ、結婚は破綻し、その後付き合っていた恋人とも別れ、現在は人体の解剖標本やホルマリン漬けの胎児に囲まれて暮らし、描いている絵は連続殺人鬼や歴史上の奇人変人をモチーフにしたグロテスクなものばかり。コールマンの目から見ると、世の中はすべて狂っている。狂っている世の中では、異常な者こそが尊敬の対象だ。敬虔なカトリックでもあるコールマンは、死体愛好者エド・ゲインの肖像を、聖堂の中のキリスト像のように描く。コールマンにとってゲインのような人物こそが、病める現代人を解放する聖人なのだ。

 ボッシュやブリューゲルなど中世の画家を敬愛しているコールマンは、自分の描く絵の中をグロテスクなイメージと、緻密な描写で埋めつくして行く。この映画の中には、コールマンの作品がいくつも登場するが、どれも陰惨なイメージが細部まで描き込まれ(作業にはルーペと面相筆を使う)、その集積が異様な迫力を生み出している。連続殺人鬼が大好きなコールマンには、かつて映画『ヘンリー』(ジョン・マクノートンの映画か?)のポスター制作の依頼が舞い込んできたが、完成したポスターがあまりにも過激なので、結局は使用されなかったという経緯があるらしい。コールマンの絵に不快感や嫌悪感を持つ人も多いだろうと思う。ポスターにして、町中にベタベタ貼る内容ではないかもしれない。

 映画にはコールマンが10年ほど前まで繰り返していたパフォーマンスの、貴重な記録映像が含まれている。生きたままのハツカネズミを両手に持ち、食いちぎっては吐き出したり、時には食いちぎった頭を飲み込んでしまうという行動は、プレス資料で事前に予告されていてもショッキングだ。これを実際に生で見た観客のショックは、想像するにあまりある。このあとコールマンは、体中に巻き付けた爆竹に点火して、全身から爆発音と火花を立てながら会場を走り回るのだから、観客の驚きはさらに大きなものになっただろう。これは警察ざたにもなるはずです。完全にイッちゃってるもんね。

 コールマンという人間の中には、死や病めるものに対する「憧れ」と「恐れ」が同居し、偉大で崇高なものに対する「畏怖」と「嫌悪」が同居している。カトリック信仰と爆発パフォーマンスの間で揺れ動いていたコールマンは、現在キャンバスに緻密な絵を描くことで両者を統合しようとしているようにも見えた。コールマンの絵は、グロテスクだけど美しく、醜悪で見るに耐えないものであると同時に崇高なイメージがある。聖人をモチーフにした残酷画に近いイメージかもしれない。

(原題:R.I.P. / REST IN PIECES)


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