パーフェクト・カップル

1999/01/12 有楽町朝日ホール
クリントン大統領をモデルに描く、アメリカ大統領選挙の裏側。
現実をリアルに描くとコメディになってしまう。by K. Hattori


 研修生との「不適切な関係」が原因で弾劾騒ぎが起きているアメリカのクリントン大統領をモデルにした、一種の政治コメディ。南部出身の若い州知事が、数々のスキャンダルにまみれながら、党大会を勝ち登って行く様子を描いている。原作は匿名作者(後にニューズ・ウィークの記者ジョー・クラインと判明)“アノニマス”の書いたベストセラー小説「プライマリー・カラーズ」で、内容のあまりの生々しさから、一時は「大統領の側近が書いたのでは?」と物議をかもした。映画ではジョン・トラボルタがクリントンそっくりの大統領候補ジャック・スタントンを演じ、エマ・トンプソンがその夫人スーザンを演じている。「コメディ」と言っても、ことさらコミカルな場面があるわけではない。この映画の中では、大統領選挙のお祭り騒ぎと、その中で一心不乱に働く人々のリアルな姿そのものが、滑稽な存在として描かれているのだ。『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』のような政治的ブラック・コメディを期待すると、はぐらかされてつまらない思いをするだろう。

 この映画で観客を物語の中に導くのは、大統領予備選のスタッフとして加わった黒人青年ヘンリー・バートン。黒人解放運動家を祖父に持つ彼は、南部の黒人票を目当てにしたスタントンが政治的目的で自陣に引き入れた気配もあるのだが、ヘンリー自身はスタントンの理想主義と強引さに感銘を受け、恋人の制止を振り切って選挙にのめり込んで行く。ヘンリーは最初、難読症克服プログラムを強力に進めるスタントンの姿に感銘を受け、彼の人柄に感動の涙さえ浮かべる。だがその直後に、スタントンの言葉が口からでまかせの嘘八百であることと、選挙事務所に支持者の女性を引っ張り込んでねんごろになる、だらしない下半身の持ち主であることを目の当たりにする。ヘンリーがそれでもスタントンを支持し続ける理由が、この映画ではちょっと弱く感じられるのだが、次々起こる事件に否応なしに巻き込まれ、責任ある地位を強引に押しつけられ、反論の余地すらない内に選挙スタッフにさせられてしまう描写には勢いがある。勢いさえあれば、そこにはある種の必然性が生まれるのです。

 この映画では、スタントンの政策はまったく議論の対象にならない。あるのは、スキャンダルのもみ消しと、対立候補の追い落とし。選挙スタッフたちは支持者たちに政策を訴える以前に、スタントンのシリ拭いに奔走する。「理想実現のためには、清濁あわせのむ必要がある」と自分に言い聞かせながら働くスタッフたちも、選挙の中で次第に「理想」が失われて行くことに空しさを感じるのだ。それが「政治の世界」なのか。理想を高く掲げるのは「青臭い学生の論理」なのか。この映画は、そうした疑問を投げかけつつ、そこに結論は出していない。民主主義の世の中では、それに結論を出すのは有権者ひとりひとりなのだ。キャシー・ベイツ扮するベテラン選挙スタッフのリビーは、彼女なりの方法で結論を出した。この場面が、映画のクライマックスだろう。

(原題:PRIMARY COLORS)


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