香華
(前後編)

1999/02/03 松竹セントラル3
有吉佐和子のベストセラーを木下惠介が脚色・監督した大作。
物語は面白いが、ドラマには厚みがない。by K. Hattori


 有吉佐和子の原作を木下惠介が脚色し監督した、昭和39年製作の文芸大作。前後編あわせて3時間半近い作品だが、木下演出の端正な語り口があまりにも巧みなので、映画はあっという間に終わってしまう感じだ。物語のスタートは、日露戦争で二百三高地が日本軍の手に落ちた明治37年(1904年)。映画の終わりは、映画公開と同じ昭和39年(1964年)。つまりこの映画は、明治・大正・昭和という日本の近代を生きた女たちを60年に渡って描く大河ドラマなのだ。この間に、関東大震災が起こり、中国で戦火が広がり、日本が焼け野原になり、占領時代があるのだが、映画はそうした時代背景をあくまでも「背景」に押しとどめ、その前景にあるドロドロとした肉親の葛藤を克明に描いて行く。

 肉親の情が薄い母親と、その母親のために人一倍苦労する娘の物語。母親を演じているのが乙羽信子で、娘を演じているのが岡田茉莉子。母親は自分の再婚のために娘を捨て、金に困ると今度は引き取って花街に売り飛ばす。贅沢と派手な生活が好きな母親は、娘を売っても金がすぐに底をつき、今度は自分自身が花魁として身売りすることになる。娘が成長して一人前の芸者として独立すると、娘に身請けさせて同居を始め、さらにあちこちから借金をしては娘を困らせる。

 物語のタイプとしては、メロドラマに分類されるものだと思う。ごく普通の平凡な生活を送りたいと願うヒロインが、外部からさまざまな要因でそれを阻まれ、どんどん不幸になって行く。この「要因」の9割を占めるのがヒロインの母親。彼女は徹底した利己主義者で快楽主義者。あちこちに不義理をかけても露ほども気にせず、世界は自分を中心に回って当然と考えるような人間だ。この人物こそ、主人公の不幸の原因。この人物さえいなければ、主人公はもっと幸福に生きられたはずだ。母親こそこの物語のキーパーソン。それだけに、母親の人物像に「実感」がないと、この映画はすべて嘘っぱちになってしまう。この映画では、乙羽信子がこの役を熱演。初々しい新妻からヨボヨボの年寄りまでを、ひとりで演じきっている。この母親は、単に憎らしいだけではなく、どことなく可愛いらしく憎めない面も持っている。その微妙なバランスがあってこそ、この物語が成り立つのだ。

 切っても切れない親子のつながりを残酷に描き出しながら、この映画の後味はやけにサラリとしている。この物語なら、もっとドッシリとした印象が残ってもよさそうなものなのに、映画のどこにも圧倒的なボリューム感というものがない。全体の雰囲気が、どこかしらテレビドラマ風なのだ。ほとんどがスタジオセットで撮影されていることや、陰影のほとんどないフラットなライティングになっていること、説明的な音楽の付け方なども、すべてがテレビ風。違うのは画面がシネスコサイズであることぐらいだろうか。物語の面白さについ引き込まれるが、映画が終わるとあとには何も残らない。なんだかそれが、もったいなく感じる映画だった。


ホームページ
ホームページへ