破れ太鼓

1999/02/07 松竹セントラル3
時代劇スターの阪東妻三郎がガンコ親父を演じるコメディ。
昭和24年の空気が現代には共有できない。by K. Hattori


 昭和24年に製作された、木下惠介のコメディ映画。裸一貫から小さな土建屋の社長にまで成り上がったガンコ親父を軸に、彼が妻や6人の子供たちとの対立したり、和解したりする様子を描いている。主人公を演じているのは、サイレント時代からのチャンバラスター阪東妻三郎。本人はこの映画に出演することをずいぶんと迷ったようだが、この映画の中ではじつに生き生きと、封建的で専制君主のように振る舞う、頑固一徹の親父殿を演じきっている。この父親が、子供たちにまったく理解を示そうとしないコチコチの石頭でありながら、どことなくチャーミングで憎めないのは、「おいしいおいしいコーヒーをふたつ!」など脚本に書き込まれているキャラクター設定の魅力も大きいが、それ以上に、大スター阪妻が持つ明るさと歯切れの良さに負っていると思う。

 ちなみにこの作品、昭和43年にTBSの「木下惠介アワー」で、テレビドラマ『おやじ太鼓』としてリメイクされている。この時の主演は、東映時代劇の悪役俳優として知られる進藤栄太郎。この番組は人気があって、続編『おやじ太鼓2』も作られています。この物語の主人公には、「時代劇出身者」の持つやや古風でいかめしい雰囲気が必要なのかもしれません。

 この映画の面白さは、「裸一貫からたたき上げたガンコ親父」「家庭での封建的な専制君主ぶり」「あか抜けない田舎者の俗物」「6人の子だくさん」という純然たるニッポン・ホームドラマの世界と、「自宅は広い洋風建築」「夕食はカツレツとカレーライス」「長女は売れない画家と自由恋愛」「長男はオルゴール制作工場を経営」「居間では次男がピアノ」「次女は自室でシェイクスピア劇の稽古」というバタ臭さが、強引にぶつかり合う点にあります。映画の形式もメロドラマとミュージカルの混合物といった風情で、とにかく徹底的にチグハグなのです。もちろん、このチグハグさは意図的なもの。こうした映画のスタイルは、封建的な家父長制と、戦後輸入されたアメリカ型の民主主義が混ざり合った、映画製作当時の気風を反映したものでしょう。木下惠介はこうした混乱の中から、新しい時代の親子関係を生み出そうとしているようにも見えます。

 この映画では子供たちの親への反逆が、まだ肯定的に描かれている。しかしこの後、戦後民主主義は急速に「利己主義」へと傾き、木下監督自身がそれを嘆くようになるのです。『破れ太鼓』でかわいらしい次女を演じた桂木洋子は、4年後の『日本の悲劇』で、老いた母親を捨てる冷たい娘に変貌するのが象徴的です。

 『破れ太鼓』は現代の観客が観て、特別面白い映画ではないと思う。この映画に登場するようなガンコ親父は、今の日本にはまったく影も形も存在しないからです。「おまえはお父さんの言うことが聞けないのか!」と娘を怒鳴りちらす父親の姿に、僕はまったく身近なリアリズムを感じることができない。当然、家族が父親に反逆する姿に、喝采を送ることもできないのです。


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