視線のエロス

1999/02/16 GAGA試写室
中年男と若い女の不倫関係を一人称カメラで描き出す異色作。
話自体はありきたりだが、アイデアが面白い。by K. Hattori


 妻子持ちの中年男がパーティーで知り合った若い女と不倫関係になり、ドロドロの修羅場を演じた後、結局別れることになるという「ありがちな話」を、男の一人称カメラで描ききったフランス映画。監督・脚本・主演はフィリップ・アレルで、この作品が彼の本邦初紹介となるようです。彼はこの映画で「視線」の持ち主である中年男を演じますが、画面に彼の姿が映るのはわずか2シーンのみ。何しろ全編がPOV(ポイント・オブ・ビュー=見た目の主観ショット)なので、本人の姿は鏡やガラスに映り込んだ時しか現れない。あとは手が少し映るのと、声の出演がほとんどです。彼の相手役である若い恋人を演じるのは、『プロヴァンスの恋』『ボーマルシェ/フィガロの誕生』などにも出演していたイザベル・カレー。彼女はカメラの前で残酷さから優しさまで、女性の持つありとあらゆる表情を演じてみせます。

 物語自体に大きなドラマがあるわけではなく、映画はひたすら男女関係のディテールだけを追いかけて行く。知り合った直後の会話、電話番号の交換、最初の電話、数回のデート、女を口説きはじめる男とそれから逃れようとする女……。やがてふたりはベッド・イン。関係が深まるにつれて、会話の内容も変化して行く。甘い会話の中に険しいものが混じるようになり、時には激しい口論をすることもある。男の側にある既婚者だという負い目。女の側に芽生えた、相手の妻に対する嫉妬。そうした感情が、ふたりをより燃え上がらせる。割り切って始めたはずの恋愛ゲームに足を取られ、泥沼の愛憎関係に墜ちて行くふたり。互いの不実をなじり、嫉妬に身を焦がし、関係はある日突然終わりを告げる。

 「不倫」という現実が物語の背景にあるのですが、ここで描かれている男女関係のもつれは、独身の男女の間でも起こりうることだと思う。この映画の中では不倫の存在によって、関係のもつれが際だってくるのです。この映画を観ていると、誰でも「あ〜、こんなことってあるよな!」と思う場面がいくつかあるはずです。好意を持ち始めた相手が去って行く後ろ姿を見送る気持ち、初めて相手に電話するときのドキドキする気分、相手の手に初めて触れた時のときめき、好きな人と初めて抱き合ったあとの幸福な満足感、些細な口論のあとの後ろめたさ、セックスに対して大胆になって行くスリル、相手に別の異性の影を感じた時の猛烈な嫉妬心、関係の終わりが近づいていることを感じながらも、それを否定したい気持ちに引き裂かれて行く様子……。僕はこの映画を観て、身につまされるシーンがかなり多かった。

 一人称カメラというアイデアは最初のうちこそ新鮮に感じますが、途中からは慣れてきてまったく気にならなくなります。男の姿が見えないからこそ、僕のような男性観客は、主人公の姿に自分自身を重ね合わせやすくなる。主人公の行動や気持ちに、我が事のように感情移入してしまいます。エンディングは切ない。この幕切れの芸のなさが、むしろ残酷さを増幅させます。

(原題:la femme defendue)


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