キャメロット・ガーデンの少女

1999/02/19 メディアボックス試写室
人工的な清潔さを誇る高級住宅地から逃げ出した少女。
このエンディングにはかなり異論がある。by K. Hattori


 「キャメロット・ガーデン」とは、整然と区画整備された高級住宅地の名前。日本で言えば「○○が丘」とか「××が原」のようなものでしょうか。広大な敷地の中に大きな家が何棟も並び、それがすべてデザイン的に調和のとれたものになっている。家の周囲には広い芝生とスプリンクラー。各家のデザインは似通っていて、それぞれには個性というものがない。しかし全体の調和は万全。お揃いの家。お揃いの門灯。住人たちも高所得者層ばかり。住宅地はフェンスで囲われ、警備員が地域を巡回し、部外者を容易には寄せ付けない。飼い犬はすべて血統書つき。道路にはチリひとつない。計算されつくした安全と清潔さが、この町全体を支配しているのです。この住宅地に一番近いのは、『トゥルーマン・ショー』に登場する人工の町かもしれません。

 キャメロット・ガーデンに引っ越してきた10歳の少女デヴォンは、そんな町の様子になじめない。彼女は良心に内緒で町の外の森まで行き、トレーラーで暮らすトレントという青年と友だちになる。トレントはキャメロット・ガーデンで芝刈りをしながら生活していますが、町の人々からはあまりいい目で見られていません。互いに心と体に傷を持つふたりは、間もなく親友とも言えるような関係になりますが、それを快く思わないデヴォンの両親が、ふたりを引き離そうとします。

 う〜ん、正直言って、何が言いたいのかよくわからない映画だった。話そのものは単純なのですが、中に登場する細かなエピソードの扱いが中途半端に思えて、最後の方は少し白けながら観ていました。思いつきでエピソードを盛り込んだという風にも見えないのですが、どのエピソードも結論に着地する前に放り出され、映画から消えていってしまいます。「あの話はどうなったの?」という疑問が、最後までつきまとう。例えばキャメロット・ガーデンの住人であるトレントのガールフレンドの存在が、映画の途中で予告なしに消えてしまうのはなぜか。デヴォンが木に結びつけたリボンには、どんな意味があるのか。デヴォンの母親といけすかないブレットの不倫関係は、どのように精算されるのか。いかにも意味ありげに提示されるエピソードの数々が、最後まで結論を出さないままになっているのは気になります。

 この映画はハッピーエンドなのだろうか? この映画のエンディングを、どのように受け止めればいいのだろうか? あまりにも説明不足で、どうとでもとれるラストシーンです。この映画に感動する人は、このわかりにくさの中に、自分の気持ちを投影するのでしょう。しかし僕はこの映画のラストシーンから、作り手たちの明確なメッセージが伝わらないのは無責任だと思います。途中までは面白い映画だったのに、なぜ最後の最後になってこんな尻切れトンボの終わり方にしてしまったのか。エンドロールが流れ始めたときは、自分の目を疑いました。このラストシーンには賛否両論だそうですが、僕は「否」の側です。この直前までは面白かったのに。

(原題:LAWN DOGS)


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