沈む街

1999/04/08 シネカノン試写室
運命的な男女の出会いを淡々と描いた中国映画。
生活の描写がじつに細かい。by K. Hattori


 プレス資料によれば、これがデビュー作となる監督の章明(ツァン・ミン)は「中国第6世代のゴダール」なんだそうな。僕にはこれのどこが「ゴダール」なんだかよくわかりませんが、映画自体はすごく気に入りました。やがて完成する世界最大のダムによって、いずれ水没することになっている長江流域の町が舞台。同じ時間を過ごす他人同士が、最初はオムニバス劇のように描かれ、やがて登場した全員がからまり合って、ひとつのドラマを作って行く。登場するのは、河岸で地味な信号守の仕事をしている男マイチャン。その友人のマービン。対岸のホテルで受付係をしている、子持ちの未亡人チャンチン。その愛人だったホテルの上役モー。町の警察署にいる、結婚間近の若い警官ウーガン。映画ではそれぞれの人生を淡々と描いてゆくが、それらはある数日間に奇妙な交差を見せる。これは一種のファンタジーだろうか。

 登場人物それぞれの生活ぶりが、じつにこと細かく描かれている映画です。物語そのものは浮世離れした古典的ファンタジーなのに、この生活描写がそれをしっかりと地上に釘付けにしている。この感覚が、いかにもベタベタの中国なのです。この映画に出てきたような話は、中国の古典にたくさん載ってるぞ。夢の中で見知らぬ女に出会って心惹かれるマイチャン。再婚を決意しながら、実際にはなかなかそれに踏み出せないチャンチンは、誰かが時折、自分の名を呼んでいるような感覚にとらわれている。やがて偶然出会ったマイチャンとチャンチンの間に起こった出来事を、他人が合理的に説明することはできない。でもふたりは出会い、そこに何かが生まれる。それは愛とか恋とか、そんな浮ついたものではない何かだ。僕はこの映画を観て、「月下氷人」とか「赤縄」という古い中国の言葉を思い出してしまった。

 この映画は運命に導かれて結ばれた男女の物語だが、そこにはおよそドラマチックな要素がない。この映画をラブストーリーと呼ぶのは、誰もが躊躇するに違いない。マイチャンとチャンチンの関係は、はたして恋愛なのか。僕はこのふたりの関係から、恋愛という「感情」よりもっと深いところにある、運命的なつながりを感じてしまった。ハリウッド的なドラマチック・ラブとは正反対のところに、この映画は位置していると思う。

 映画の舞台になっているのは、ダムで水没する実際の町。映画に登場する人々は、プロの俳優ではなく素人だという。川岸の岩肌や町の建物に、ダムが完成した時の水位がペンキで記されている。歴史的な大事件を前にしても、人々の生活は最後の最後までいつも通りに進んで行く。街の中に今は確実に存在している人間関係も、いずれはすべて消えてしまうのだ。そんな頼りない浮き世暮らしの中では、互いに相手が何者か知らぬまま惹かれ合ったマイチャンとチャンチンの関係をとやかく言える立場ではないのかもしれない。むしろ僕には、移ろいやすい世の中より、ふたりの関係の方がよほど純粋で確かなもののようにも思えた。気持ちいい映画です。

(原題:巫山云雨)


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