ボブ・マーリィ
「伝説のパフォーマンス」
アップライジング・ツアー1980 in ドルトムント

1999/04/21 シネカノン試写室
ボブ・マーリーが死の直前まで行っていたツアーの記録映画。
映像も音も悪いが、迫力は十分伝わって来る。by K. Hattori


 原題は『ボブ・マーリー&ウェーラーズ』というシンプルなものなのに、邦題は『ボブ・マーリィ「伝説のパフォーマンス」アップライジング・ツアー1980 in ドルトムント』という長ったらしさ。マーリーのファンにはこの方が都合がいいのかもしれないが、それ以外の人にはむしろ、原題通りのシンプルなものの方がよかったのではないだろうか。ボブ・マーリーは'81年に亡くなっているが、この映画は彼が最後に行った'80年の欧州ツアーを記録している。全編がビデオ撮影からのキネコで、画質はあまりよくない。もっとも、ステージは暗いのでこれをフィルムで撮影しようとすると、大変な機材になってしまったことだろう。画面はスタンダード・サイズで、音もモノラル。でも、コンサートの熱気と迫力は、しっかりと伝わってくるはずだ。

 この映画が撮影されたのは、'80年6月のこと。この時点で、既にマーリーはかなり体が悪かったようだが、夏からは急激に体調を崩して9月には昏倒。ツアーはキャンセルされて、翌年5月には亡くなってしまった。映画を観ていても、マーリーが病気であるようにはまったく見えない。ステージでの演奏と歌はエネルギッシュだし、ドレッド・ヘアを振り乱しながらリズムに合わせて身体を揺するマーリーの姿は、どう観たって「病気」とは程遠いように思える。マーリーがこの直後に病気になり、あっという間に死んでしまったとき、ファンが大いに驚き、嘆き悲しんだのも当然です。

 僕は音楽事情に疎いので、マーリーの葬儀で「ラスタマンよ永遠に」とか「ハイレ・セラシエ皇帝万歳」と言われても、何のことだかさっぱりわからなかった。家に帰ってきてから調べたら、レゲエの思想的背景として「ラスタファリ運動」というのがあるんだそうな。それはエチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ(在位1930〜1974)を救世主と考えるもので、彼の戴冠前の名前「ラス・タファリ」がそのまま運動の名前になっている。中身はアフリカにルーツを持つ黒人たちによる、一種の民族運動と理解すればいいんだろうか。音楽形式としてのレゲエはともかくとして、マーリー時代のレゲエはラスタファリ運動と切り離しては考えられない。ラスタカラーと言われる赤・黄・緑の配色も、エチオピアの国旗と同じ配色だったりする。(アフリカ諸国の国旗には、同じ配色が多い。)レゲエというのは、そもそもが非常に政治的なメッセージを含むものだったんですね。

 映画はステージシーンが続くだけで、ボブ・マーリーのプライベートな部分や、舞台裏を見せる場面はほとんどない。(同じコンサート映画でも、デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』は、舞台裏とステージ上での対比が、ひとつの映画のテーマになっていたのだが。)この映画では、ステージ上での元気なボブ・マーリーと、彼の葬儀の場面が対比して描かれている。一種の追悼映画というか、顕彰映画というか……。ファンが観たら、たぶん泣いちゃうんでしょうね。

(原題:BOB MARLEY AND THE WAILERS)


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