RAINBOW

1999/05/20 シネカノン試写室
こんな映画をなぜ劇場公開するのか、僕にはまったく理解できません。
もはや腹も立たない。残るは脱力感のみ。by K. Hattori


 2年前にキネコ作品『HOBOS(ホーボーズ)』で劇場映画デビューした、熊澤尚人監督の最新作。52分の中編映画だが、観ているあいだ中、ずっと不愉快な気分だった。気取ったポーズだけが鼻につき、映画の中には何もない。話もなければテーマもない。少なくとも、それが観客である僕の側には伝わってこない。

 一番腹立たしいのは、この映画が「傷ついている自分」を「かっこいい」と考えていること。「傷ついている自分」という前提から自己憐憫に陥ってしまうことはよくあるが、最近は「傷ついている自分」というのがファッション化して、ある種の格好良さだと勘違いされているらしい。これは「ナイーブ(未熟で世間知らず)」という言葉が「繊細な」という意味に誤用されているのに近い感覚だろう。自分の無知や未熟を棚に上げ、「僕の心はすごくデリケートで傷つきやすいんです」と開き直ってしまう。ここには問題意識も成長する意志もない。自分の無知や馬鹿さ加減、行動を律し得ない意志の弱さ、後先を考えない思慮のなさ、社会性の欠如などが、ここではすべて肯定されてしまう。

 出席が足りずに専門学校を卒業できなくても、卒業後の就職が決まっていなくても、望まない妊娠をしても、子猫を誤って窒息死させてしまっても、家に火を付けて燃やしてしまっても(!)、この映画の中では誰も責められない。むしろそうした愚かな行為を「しょうがないよね」と許してしまう気配すらある。そうした行為によって一番傷ついているのは本人なんだから、他人がとやかく言うべきではないという、欺瞞に満ちた優しさ。僕はそれに虫酸が走る。今の若い連中って、本当にこんな奴らばかりなんでしょうか。じつはこの映画の主人公たち、僕の学校の後輩なんだよね。撮影に使ったのは複数の専門学校ですが、少なくとも卒業したのは僕と同じ学校(桑沢デザイン研究所)。それだけに、僕はこの映画の主人公たちに、近親憎悪的な不快感を持ってしまうのです。ああ、なんと嘆かわしい後輩たちだ!

 世の中の価値観など相対的なもの。僕がこうした若者像に嫌悪感を覚えたとしても、それはいつの世にもある「最近の若い連中はなっちょらん!」という年輩者の嘆きに過ぎないのかもしれない。しかし、それだけでここまで不愉快になるものだろうか。この映画が現代の若者像をどう描こうと、映画の作り手と被写体との間に一定の距離感があれば、ここまでひどい映画にはならないと思う。距離感がある種の批評性を生み出すからです。しかしこの映画は、甘ったれた若者の言い分をそのまま無批判に垂れ流しているだけです。彼らの価値観を相対化せず、あたかもそれが絶対の真理であるかのように描いている。しかも、そこには確信犯的な揺るぎない自信が見えてこない。そこに作り手の甘えとおもねり、迎合が透けて見えてしまうのです。

 こんな映画を支持する人たちもたぶんいるのでしょうが、僕にとっては今年のワースト1映画です。


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