眠狂四郎・勝負

1999/05/26 徳間ホール
人気を不動のものにした雷蔵主演の『眠狂四郎』シリーズ第2弾。
シリーズ中屈指の名作という評価にも納得。by K. Hattori


 市川雷蔵主演の『眠狂四郎』シリーズの中でも、傑作と評されることの多い作品。僕は以前、監名会のゲストに脚本家の星川清司さんが招かれたとき、アテネフランセでこの映画を観ている。監督は三隅研次。上映時間が83分というのは、今の感覚からするとじつにコンパクト。しかし内容はギッシリ詰まっていて、アンコがしっかり入った鯛焼きを食べたときのような充実感です。

 この『眠狂四郎・勝負』については、脚本を書いた星川清司さんが「大映京都撮影所・カツドウヤ繁昌記」に思い出を書いている。それによれば、第1作目の『眠狂四郎殺法帖』は、星川さん自身が原作の設定を意識しすぎて失敗。それでも2作目の脚本を依頼された星川さんは、「原作の設定をすべてぶちこわさないかぎり書く気はない」と言った。だが原作者の柴田練三郎との関係を考える大映としては、この話に簡単にはゴーサインが出せない。仕方がないので、星川さんは自分の責任で勝手に脚本を書き、いざとなったら自分一人で責任をとるつもりだったという。映画が完成してしばらく後、星川さんは原作者から「ま、映画だから、あれはあれで仕方がねえか、──狂四郎のねぐらが吉原裏の浄閑寺とは、うめえことを考えやがった」「だが、おれはあんなふうにゃ書かねえよ」と言われたそうな……。原作者として不満がないわけでもないが、映画は映画としてよくできているという言葉。ちょっといい話です。

 眠狂四郎は「大菩薩峠」の机龍之介と並ぶ、ニヒルな虚無の剣士の代表格。でも映画版の狂四郎は、それとはちょっと違う。脚本の星川さんによれば、『眠狂四郎』シリーズはニヒリズムや虚無を描く作品ではなく、「世捨て人のような巷の浪人が、権力ぎらいで、人ぎらいで、だから、わざと鬼の面をつけたがる、センチメントなヒーローに仕立ててみせよう」「映画の眠狂四郎は、センチメントでダンディに見えればそれでよい」と考えていたそうです。たぶんこの『眠狂四郎・勝負』には、そうした思いの原型があるのでしょう。この映画の狂四郎を見て、彼がニヒルで虚無感を漂わせた人間だと思う人はいないと思う。この映画の狂四郎は、非常に暗い顔から朗らかな笑顔まで、じつに豊かな表情を見せる。しかし彼が笑ったところで、それは周囲を暖かくするような笑いではない。辛く苦しい人生の中で、わずかに息を付いたときにふと漏らす笑顔なのです。こんな表情ができる役者は、雷蔵以外にいないかもしれません。

 名場面は多いのですが、僕は狂四郎と朝比奈老人が屋台のそば屋に入る場面が好き。凍てつく冬の寒さと出されたそばの温もり、狂四郎の暗さとそば屋の娘の明るさというコントラスト。「寒いと思ってたら、空から白いものが落ちてきましたぜ」という親父の台詞に合わせ、戸板の隙間から外の雪が少しだけ見える。ここで雪をほんのちょっぴりしか見せないので、この直後にある雪の中の決闘シーンが映えるのです。まさに絶品。何度観ても新たな発見がある、一種の芸術作品です。


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