エイミー

1999/06/09 映画美学校試写室
歌でしか周囲とコミュニケートできない少女エイミー。
かわいくて切ないオーストラリア映画。by K. Hattori


 心に深い傷を負い、耳も聞こえず言葉も失ってしまった8歳の少女エイミー。だが彼女は、歌を通して周囲とコミュニケーションすることができた。彼女は他の音が一切耳に入らないのに、歌だけは聞こえる。一言も声を発することができないのに、歌だけは歌える。最初にこのことに気づいたのは、エイミーの近所に住む売れない歌手ロバートだった。だがエイミーの母親ですら、彼女が歌でコミュニケーションできるということを信じようとしない。エイミーにとって唯一の友だちになったロバートは、彼女の母親から誘拐犯扱いされてしまう……。

 アイデアはものすごく面白いのに、あちこちに気取ったところが見えて損をしている映画です。歌でしか周囲とコンタクトできない少女のために、それまで歌など忘れていた大人たちが突然歌い始める。ただそれだけを物語の核にして押していけばいいのに、いろいろと余計なことをやろうとして結局効果を生み出せず、冗長な場面を増やす結果になってしまった。この映画は、誰が歌い、誰が歌わないか、歌わなかった人がいつ歌い始めるかだけで、物語の大半は引っ張っていけるのです。全体にもっとミュージカル色を強め、最後の大団円では憎まれ役だった福祉局の職員まで歌わせて、盛大なハッピーエンドにすることだってできたはずなのに。

 ただ、こうした不満はあっても、僕はこの映画が好きなのです。好きになる最大の理由は、やはりエイミーというキャラクターの魅力にある。それまで周囲の音が耳に入らなかった少女が、歌にだけは反応するという面白さ。小さな美しい声で歌う場面の美しさ。エイミー役のアラーナ・ディ・ローマは見た感じが本当に不幸そうな女の子ですが、声は伸びやかで音程も確か。彼女が地下道で大道芸の真似事をする場面は、「すげ〜」と思ってしまいました。本物の声が持っている迫力です。

 エイミーの父親を演じているニック・バーカーは、オーストラリアの人気ロックシンガーだそうです。そのせいでしょうか、彼の演奏シーンがやたら長く収録されている。演奏シーンだけ見ると、まるでコンサート映画です。映画としては、ここが長すぎる。これもこの映画の欠点です。コンサートの場面を見せるにしても、もっと別の見せ方があったと思うけど……。母親を演じているレイチェル・グリフィスは、『ベスト・フレンズ・ウェディング』や『マイ・スウィート・シェフィールド』(どちらもプレス資料から漏れてる)のレイチェル・グリフィス。演技力には定評のある人です。

 監督のナディア・タスはこの映画が6作目だというのに、なぜこんなにヘタクソなんだろうか。エイミーの歌を母親が初めて聴く場面など、泣かせどころはいくらでもあるのに、それに対してやけに無愛想じゃないか。拙いところや下手くそなところもたくさんあるけど、いい場面や心に残る場面がたくさんある映画で、観終わったあとの印象は爽やか。エンドタイトルのテーマ曲を聴いていたら、ちょっぴり涙がこぼれそうになったよ。

(原題:Amy)


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