大浸水

1999/06/13 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
突然の大洪水に右往左往する人々を描くコメディ版『フラッド』。
危機に際して最後までエゴを貫くのがフランス流。by K. Hattori


 大雨で小さな村が水没。逃げ遅れた人々が1件の家に集まってくるが、外部への脱出方法も、連絡方法も失われている。生きるか死ぬかという極限状態の中で、人間のエゴとエゴが衝突してゆく……、というコメディ映画。これを真面目にやると『フラッド』だが、天変地異に右往左往するばかりで何も解決できない人間の姿は、どうしたって愚かしいものに思える。非日常的な空間の中で、本人たちが真剣になればなるほど、それを外から見ている他人には滑稽にうつる。そういう意味では、こうしたシチュエーションはコメディの定石といえるかも知れません。この映画の中で、登場人物の多くは大きな悲劇に見舞われる。ある者は家族を失い、別の者は仕事を失い、財産の一切合財を失ってしまう。でも、それが他人の目にはとてつもなくおかしいのです。他人の不幸が面白いという人間心理の残酷な一面もあるのですが、これは悲劇と喜劇が紙一重だという証明でもある。

 悲劇も喜劇も、おの面白さは「むき出しの人間性」にあるのです。この映画の中では、すべてを失った人間たちが最後の最後まで、それぞれのこだわる何かに固執する。それが他人の目にはひどく詰まらないものだったとしても、本人はいたって真剣そのものです。「こんな時に、そんなことにこだわっている場合か?」という情況を克明に描いて行くと、それが悲劇になったり喜劇になったりするのです。この映画に描かれているような内容は、別の情況ではそのまま悲劇として受容されうるものばかりです。でもそれが、きちんとギャグになっているのがこの映画のうまさ。これがわからない人がコメディを作ると、ギャグのはずなのに気の毒すぎて笑えなくなってしまったり、他人の不幸を指差して笑う悪趣味ぶりにゲンナリしてしまうのです。この監督はうまいです。

 家の中やボートの中など、1ヵ所に次々人が集まってくる展開が多いので、少し舞台劇のような雰囲気があります。それもそのはずで、これは原作が舞台劇なのです。映画化するにあたっては湖の中にセットを組むなど、大がかりな仕掛けで「大浸水」を描いています。でも面白さの中心は、やはり人間関係の側にある。だから大きな予算をかけて作ったセットも、これ見よがしに登場しない。それはあくまでも、物語の背景なのです。

 思いがけず行動を共にすることになった人間たちが、互いのエゴを衝突させあう物語はどこにでもある。この映画のユニークさは、その利害対立がどこでも解消されず、最後まで生き続けることかもしれません。普通は互いの欠点や長所を認めあって、最後は友のようなものになるんでしょうが……。この映画の中では互いが互いの嫌なところをどんどん発見して、最初はそれほどでもなかたのに、最後は物凄く相手が嫌いになってくる。彼らが助かりたいのは、洪水で閉じられてしまった狭い人間関係の中から、何とかして逃げ出したいと思っているからかもしれない。やや唐突なラストシーンも、そう考えると納得の行くものです。

(原題:TOUT BAIGNE)


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