あの娘と自転車に乗って

1999/06/30 ぴあ試写室
キルギスタンの映画監督が作った自伝的なキッズ・ムービー。
パートカラーにあまり効果がないのが欠点。by K. Hattori


 キルギスタンの映画監督、アクタン・アブディカリコフの長編デビュー作。キルギスタンは旧ソ連から独立した中央アジアの小さな国で、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどと領土を接している。住民の半分はキルギス人で、宗教はイスラム教が多い。恥ずかしながら僕はこの映画で初めて、キルギスタンという国の名前を覚えました。映画の内容は、アジア映画によくあるキッズ・ムービー。思春期を迎えようとする少年の腕白ぶりや悪童ぶり、近隣住人たちとの交流、幼なじみの少女へのほのかな恋情、出生の秘密、家族の絆などを描いている。本作はアブディカリコフ監督の実体験を元にした自伝的なストーリーであり、少年時代の監督本人とも言うべき主人公の少年を演じるのは、監督の実の息子であるミルラン・アブディカリコフだ。

 英語のタイトルが『The Adopted Son(養子)』になっていることからもわかるとおり、この映画では自分が養子だと知った主人公の心の動きが大きなテーマになっている。しかしそれより面白いのは、映画の前半にたっぷり描かれる主人公ベシュケンピールのイタズラ小僧ぶりだろう。仲間の少年たちと蜂の巣を取りに行ったり、農家の女の巨大なオッパイをのぞいたり、砂でスケベな人型を作ってドキドキしたり、映画に出かけたり……。時には大人にどやされたり、父親にこっぴどくしかられたりするが、子供はそれに懲りることなくまた新しいイタズラをする。こうした場面で見せる少年たちの生き生きとした表情が、この映画を好ましいものにしている。

 しかし解せないのは、この映画がほとんどモノクロで描かれ、いくつかの場面、いくつかのカットしかカラーにしないことだ。映画冒頭の赤ん坊はカラーだが、それからずっとモノクロになり、時々思い出したようにカラーになる。こうしたパートカラー演出が、長い映画の要所要所を強調する役目を果たすのだが、その強調ポイントにどのような意味があるのか、僕にはちょっとわからなかった。「モノクロ=過去」ということなのかもしれないが、この物語自体は時代背景がどこであろうと成立してしまう話だと思うので、モノクロ映像を過去の記憶として描くなら、最初に説明が必要だったと思う。赤ん坊の時にカラーで、その赤ん坊が成長するとモノクロになるという導入部も、モノクロ効果の意味合いをわかりにくくしてしまった原因だと思う。

 それにしても、こういう映画を観ているとつくづく世界は広いと感じる。主人公の顔立ちはアジア人で、宗教はイスラム教、祖母の葬儀に出てくるテントはモンゴル風だ。主人公が家出する場面では、彼と一緒に働いていた男たちがロシア人のように見える。映画上映会でかかっているのは、インドのミュージカル映画だろうか。

 映画は世界共通語だと言った人があるが、この映画を観るとまさにそれを感じる。映画に熱中する子供たちの表情は、『ニューシネマ・パラダイス』や『虹をつかむ男』に登場するそれとまったく変わることがない。

(原題:Beshkempir (The Adopted Son) )


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