メイド・イン・USA

1999/08/02 シネカノン試写室
アメリカの探偵小説を映画化した1966年のゴダール作品。
僕には退屈な映画。寝ちゃいました。by K. Hattori


 1966年のジャン=リュック・ゴダール作品。アンナ・カリーナ扮するジャーナリストが、恋人の死の真相を調べる探偵物語だが、エピソードのつながりに脈絡がないため、謎解きミステリーとしてはまったく楽しめない。この映画はゴダール流の探偵映画だが、ジャンル・ムービーとしての常套句(紋切り型表現)はことごとくパロディの対象になってしまい、その破壊力が映画全体の枠組みすら壊しているように思える。ここではゴダールの映画演出テクニックを載せる土台として「探偵物語」があるだけで、出来上がった映画そのものは探偵物とは似ても似つかない物になっていると思う。

 じつは映画を観ている途中から猛烈に眠くなってしまったのだが、これは僕がゴダールを苦手としているせいか、それともアンナ・カリーナが眠気を誘うのか……。僕はカリーナ主演の『アンナ』『小さな兵隊』『未来展望』などでも眠ってしまい、それぞれ試写を2回観るハメになっている。じつは僕、ゴダールの映画のどこがどう面白いのかが、まったくわかってません。何本かのゴダール作品を観てわかるのは、彼の作品の中で即興のように見えることの多くが、じつは周到な計画の上に成り立っているということ。それは異なる映画の異なる場面の中で、同じような演出が見られることでもわかる。

 ゴダールの映画はあまりにも個性的なので、他の映画作家に衝撃は与えても、影響は与えなかったようだ。今に至るまで、ゴダールの後継者となるような映画作家は現れていない。いかにもゴダール風の映画演出テクニックは、ゴダールというひとりの作家の専売特許として、映画史的に孤立した存在だと思う。それだけに、一度ゴダールにはまってしまうとゴダール信者になってしまうのだろう。もっとも僕のようにそれが受け入れられなくても、受け入れないままで済ませてしまえるのがゴダールかもしれない。ゴダールの前にゴダールなく、ゴダールの後にゴダールなし。彼の存在は孤立しているので、彼を知らなくても映画を楽しむのに不便はない。

 『メイド・イン・USA』という映画はプロデューサーの借金返済のために立てられた企画で、撮影にもあまり時間をかけていない。最初からひどく商業主義的な映画だったのだ。商業主義で一番確実なのは、ヒット作のマネをして冒険を避けること。この映画はゴダールのヒット作『気狂いピエロ』に近い作風だと思うし、政治的なメッセージが希薄な娯楽作品にもなっている。そして、当時のゴダール・ファンを満足させる、コテコテのゴダール流演出術が満載だ。引用の多い台詞、パロディ、即興風の芝居、唐突に挿入される音楽や効果音、映画自体を茶化したメタ批評性、物語の流れを寸断して行く編集などなど。この映画はゴダール初期作品のエッセンスが詰まった作品であり、この映画が楽しめれば他のゴダール作品も楽しめるという、ある種の試金石的な作品だと思う。ちなみに僕は、あまり楽しめなかったんですけどね……。まあ、今さらゴダールでもないけどね。

(原題:MADE in U.S.A.)


ホームページ
ホームページへ