娼婦ベロニカ

1999/08/13 FOX試写室
16世紀ベニスで花開いた高級娼婦の世界を緻密に再現。
ドラマは弱いが風俗描写は面白い。by K. Hattori


 16世紀のベネチアで花開いた高級娼婦と貴族たちの世界を、ひとりの高級娼婦の視線から描き出した大河ロマン。当時の社会で、女性に求められるのは「良き妻」「良き母」になることだけ。一般の女たちがきれいに着飾ることも、教養を身に着けることも許されてはいなかった。美しさで男たちを誘惑したのは、高級娼婦たちだ。彼女たちはきらびやかなドレスを身にまとい、男の生理を知りつくしたセックスの奥義で男たちを喜ばせ、さらには、男たちと対等に詩や文学や政治について語り合う。まさに高級娼婦こそ「恋の相手」としては最高の存在。彼女たちは人工的に作られた最高の恋人なのだ。

 この物語の主人公ベロニカは、家が貧しいため持参金が払えず、好きな男と結婚することができなかった。だが彼女は、自分の恋をあきらめられない。行く手にどんなに辛く厳しい道があろうとも、絶対に彼の愛を独占したい。そんな彼女にとって、「高級娼婦になれ」という母親の囁きは悪魔の誘惑だった。愛する男の「妻」になれないのなら、愛する男の「愛人」として彼の愛を独占する道しかない。愛人になるには、まず高級娼婦になる必要がある……。自分も高級娼婦だった母親は、ベロニカに手取り足取り高級娼婦としての知識と教養を身に着けさせる。その中には、男性との恋の駆け引き、ベッドの中で男性を喜ばせる方法も入っている。やがて彼女は、ベニスで一番の高級娼婦になった。

 この映画に登場する高級娼婦と男たちの世界は、江戸時代の日本にあった遊郭みたいなものです。女性を母親タイプと恋人タイプに分け、前者を家庭に押し込め、後者を遊郭に押し込める。その中間はありません。男たちはふたつの別の世界を自由に行き来することで、両方のいいとこ取りをするのです。男性にとっては両手に花。まさに男性中心の社会ならではの発想です。日本の場合は人身売買によって女たちを遊郭に売るのですが、この映画に登場するベロニカは、自分自身の自由を得るために、あえて高級娼婦の世界に足を踏み入れる。男たちにチヤホヤされたとしても結婚できるわけではなく、あくまでも一夜の夢を金で買われた女に過ぎない。だがそこには、家庭の女が一生味わうことのできない自由がある。映画の中で、貴族の妻となったベロニカの幼なじみが「私の娘は高級娼婦にする。私のような苦しみを娘には味わせたくない」と告白する場面が、この映画中盤のクライマックスです。この場面には当時の女たちの苦しみが凝縮されている。家庭も地獄。娼婦も地獄です。

 風俗描写はものすごく面白い映画ですが、ドラマとしてはやや水っぽい作品でした。ベロニカと恋人マルコの関係は、もっとシンプルかつ力強く描いた方がドラマチックになると思う。この映画では、マルコがもともとベロニカを愛していたのか、それとも高級娼婦として美しく変身したベロニカを新たに愛するようになったのかが不明瞭です。ベロニカ役のキャサリーン・マコーマックが、いわゆるセクシー女優でなかったのはよかった。

(原題:A DESTINY OF HER OWN)


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