どこまでもいこう

1999/08/25 映画美学校試写室
郊外の団地に住む小学生たちが主人公のキッズムービー。
観ているこちらまで子供に戻れる傑作。by K. Hattori


 『月光の囁き』の塩田明彦監督第2作目。郊外の団地を舞台に、小学生たちの日常風景を描いた傑作だ。物語は4月の新学期から始まる。校舎に張り出してあるクラス分けの張り紙。自他共に認める親友同士で、4年生まで同級生だったアキラと光一は、コンビでの悪さが先生たちに目をつけられ、5年生では別々のクラスになってしまう。「そんなこと関係ないよ」と相変わらずつるんでイタズラを繰り返すふたり。ロケット花火でピストルを作ったり、中学生にケンカを売ったり……。アキラは以前から、団地の向かいの棟に住んでいる同級生の珠代が、ちょっと気になる存在だったりする。

 10代の子供たちが大勢出てくる映画というのは、どこかで子役臭さが鼻につくものだが、この映画にはそうしたものがまったくない。登場するエピソードを観ていると、「ああ、こんなことあったあった!」と思ってしまうものばかり。クラス替えで見知らぬ顔ぶれの教室に初めて入っていく時のちょっと緊張した雰囲気とか、人に言えない悪さをするときの後ろ暗さと連帯感とか、親に自分のイタズラを告げ口された後で家に帰る憂鬱とか、友だちの部屋に初めて入ったときの驚きとか……。

 この映画は学校を中心にして小学生の生活を描いているのだが、勉強や成績の話はまったく出てこないし、塾通いの小学生も出てこない。そうしたものが存在しないと言うのではなく、そうしたものを描かなくてもいい場面を選んで物語を作っている。大人は得てして子供たちの姿を、「イジメ」や「勉強漬け」といった面からステレオタイプに考えてしまいがちですが、この映画には、昔ながらの「子供の領分」が生き生きと描かれている。男の子が友だち同士でつるんで遊んだり、ちょっと大人びた乱暴な口をきいたり、世の中のことがすべてわかっているような生意気を言ったりする様子に、僕は大喜びしてしまった。大人が頭の中で考えたわけではない、生々しい子供たちの日常がそこに描かれています。

 監督の塩田明彦は昭和36年生まれで今年38歳。『月光の囁き』といい『どこまでもいこう』といい、素晴らしい感受性の持ち主だと思います。子供時代や思春期の記憶が鮮明に残っていないと、こんなに瑞々しい映画は作れないでしょう。この映画には、人生経験という「垢」にまみれた大人が子供を見る、見下したような視線がまったくない。視線はまるっきり子供と同じ高さにあって、映画を観ている観客まで、まるで子供時代にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれる。

 映画のオープニングから基調テーマになっているオモチャのようなドラムマーチが、やがて『史上最大の作戦』のテーマ曲になっていくという構成も最高。これが壮大なオーケストラではなく、音の薄いちゃちな演奏なのがいいのです。大人から見れば、子供の世界はあくまでもミニチュアめいた「お子様の世界」ですが、子供たちにとっては毎日が人生最大の事件の連続。そんな映画に『史上最大の作戦』がピタリとはまっています。


ホームページ
ホームページへ