わたしの見島

1999/09/08 東宝東和一番町試写室
原一男監督が塾長を勤めるCINEMA塾の第1回作品。
見島の中に現代日本の縮図がある。by K. Hattori


 『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』の原一男監督が、山口県萩市で開催している活動屋養成講座“CINEMA塾”の第1回作品。見島は萩市の北西45キロにある日本海上の離島だ。CINEMA塾の塾頭である原監督と塾生たちは、この島に合宿しながら島の風景を撮影し、現地の人たちにインタビューし、時には現地の人々と一緒に漁に出かけ、盆踊りを踊り、大凧を作って大空にあげる。この映画の演出は「CINEMA塾」と原一男の共同クレジット。原監督はカメラを回し、監督の妻である小林佐智子が構成を担当。でもこれは、原監督個人の作品ではない。原一男というベテランの映画人が、まったく現場経験のない若い塾生たちを引っ張り、お尻をたたきながら作った共同作品なのだ。

 原一男監督が今までに取り上げてきたテーマに比べると、今回の見島はあまりにもありふれた、身近すぎるテーマにも思える。そこにあるのは、日本中どこにでもある離島だ。天皇にパチンコを打った奥崎謙三や、虚実の境界をフワフワと生きて行く井上光晴のような個性は、見島には存在しない。だがそんな平凡な島にも、そこにしかない個性があり、そこにしか暮らしていない人々がいる。どんなに平凡な人間でも、その顔が世界でただひとつしかない個性を持っているように、平凡に見える日本海の孤島にも、その島にしかない顔がある。この映画はそれを、ひとつずつあぶり出して行く。

 映画が進行するに従って、それまで平凡な小島でしかなかった見島が、独特の個性を持った魅力的な顔を見せてくる。その顔には喜怒哀楽がある。映画を観終わると、見島が世界で一番個性的な島のように思えてくる。おそらくこれが、原一男のドキュメンタリー手法なのだ。原監督が今までに取り上げた奥崎謙三や井上光晴も、原監督のこうした視線があったからこそ、あそこまで個性的で魅力的な人物としてフィルムに定着されたに違いない。見島が最初は平凡で没個性的な島に見えたように、奥崎謙三や井上光晴も、ぼんやり眺めただけではさしたる個性のないただのオッサンなのかもしれない。しかし原監督の視線は、そうした平凡さの下にある個性を見抜くのだ。CINEMA塾の塾生たちはこの映画を撮ることで、原一男の「視線」を少しは盗めたのではないだろうか。

 この映画の素晴らしさは、作り手が見島というひとつの島の個性を次々に探し当ててフィルムに収めながら、その個性のひとつひとつが、日本中のどんな土地にも共通する普遍性を持ち合わせていることだ。この映画では「日本中で見島にしかないもの」も当然描かれている。でもそれが「珍しいもの自慢」になってしまえば、単なる観光案内にすぎない。ここで描かれるのは、そうした島の名物を成り立たせている人々の暮らしぶりであり、伝統を継承して行く若い世代の姿だ。どんなものを撮影していても、テーマの焦点は常にそこで暮らす人間の側にある。この映画は故郷や親のもとを離れて暮らす人々すべてが納得できる、現代日本論になっているのだ。


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