シャボン玉エレジー

1999/09/24 メディアボックス試写室
『アムステルダム・ウェイステッド』のイアン・ケルコフ監督最新作。
映画作りの方法論には感心するが……。by K. Hattori


 『アムステルダム・ウェイステッド』のイアン・ケルコフ監督が、日本で撮影した最新作。僕は『アムステルダム・ウェイステッド』にぞっこん参ってしまったクチなので今回は期待していたのですが、この映画には前作のような明快さもスピード感もない。とは言え、これがケルコフ監督本来の持ち味なのかもしれない。16ミリで撮影した長編第1作『獣のようにやさしい人』や、その後の『連続殺人者の告白』などは、必ずしも明快な映画とは言えなかった。異色のドキュメンタリー映画『ヨハネスバーグ・レイプ・ミー』もそうだけど、この監督の本質はずっと内省的なものなのかもしれません。今回の映画も、一組の男女がセックスを介して互いの心を掘り下げて行くドラマ。撮影や編集のテクニックなどは共通しているものの、『アムステルダム・ウェイステッド』とはかなり毛色の違う映画に仕上がっている。

 ヤクザ組織を裏切ったジャックは警察に保護されるが、自分がヤクザのヒットマンに追われていることを知ると警官を殺して逃走。妻の妹であるケイコのアパートに転がり込む。AV女優をしているケイコは彼をかくまい、部屋にいるときはあたり構わずセックス三昧の1週間。だがヤクザと警察の手がアパートに近づいていることを知ると、ケイコはジャックをヤクザのボスに売り渡す。ケイコが自分のアパートの駆け戻ってきたとき、ジャックは彼女の腕の中で息絶える……。警官殺しで逃亡中の男が若い女にかくまわれ、やがて彼女に裏切られて殺されるという話の流れは、ゴダールの『勝手にしやがれ』を引用したものだろうか。デジカムを使った映画作りとヌーヴェル・ヴァーグの共通点を、否が応でも意識させられてしまう映画だと思う。

 ヌーヴェル・ヴァーグが登場するまで、映画とは映画会社が巨大な撮影スタジオの中で作るものだった。映画監督はスタジオの中で基礎をたたき込まれ、十分な技術を身につけてから監督として一本立ちする。ところがヌーヴェル・ヴァーグは、そうした映画作りの約束事を無意味にしてしまう。小型のカメラを使って町の中でゲリラ的に撮影をすれば、映画スタジオのセットはすべて不要になるし、ロケには最小限の人数だけを出し、撮影を瞬時に終わらせることができる。現在こうした方法論を実践しているのが、フィルムからデジカム撮影に切り替えたイアン・ケルコフなんだと思う。

 今回の映画は、僕にはあまりよく理解できなかった。話の流れを追うより、登場するセックス描写に目を奪われてしまったのが問題なのかなぁ……。セックスを通して人間の抑圧が解放されていく物語だということはおぼろげに理解できたのですが、なぜそうなってしまうのかがよくわからなかった。ケイコは過去の呪縛から解放されたから、ジャックを裏切ったのだろうか。これは一種の「父親殺し」であり、父親に対する復讐の代償行為なのかな。う〜ん、まったくわからない。僕はセックスの奥深さがまだわかってないんだろうか……。

(原題:Shabondama Elegy)


ホームページ
ホームページへ