カリスマ

1999/10/20 メディアボックス試写室
ひとりの刑事が森の中で見つけた奇妙な木「カリスマ」とは?
幻想的で寓意的な映画。よくわからん。by K. Hattori


 黒沢清監督の新作。う〜ん、つい先日観た『大いなる幻影』もそうだけど、最近の黒沢監督はどんどん一般的な娯楽映画とは違う方向に向かってる。『CURE/キュア』までは、観客がまだそんなに戸惑うことはなかった。物語の筋は難なく追えたし、映画が省略している部分も想像できた。仮に想像できないとしても、それをそのまま受け入れて、映画の理解に支障はなかった。『蛇の道』『蜘蛛の瞳』はその延長上にあるが、『蛇の道』の大詰めなどには、黒沢作品の最近の作風に通じるわかりにくさがある。(この時は勢いで押し切ってしまったけどね。)がらりと映画のタッチを変えた『ニンゲン合格』は、主人公のキャラクターや物語の背骨がしっかりしていたので、脇で何が起こってもあまり戸惑うことはない。そして『カリスマ』と『大いなる幻影』だ。この2本は今までの作品にしばしば顔を出していた「不可解な描写」「過剰な省略」「説明の回避」などが全面に押し出され、僕は非常に戸惑うことになった。テーマが難しいとか、そういう高級な問題ではなく、物語の筋を追いかけて行くのがそもそも困難なのです。各エピソードの因果関係が見えません。

 人質事件の解決に失敗し、目の前で人質と犯人をみすみす殺してしまった刑事・藪池五郎は、長期の休暇を与えられて深い森の中に入って行く。事件の時、犯人を撃っていれば人質は(ひょっとしたら犯人も)死ななかったかもしれない。でも藪池はその時、犯人を撃たなかった。誰も傷つくことなく事件が解決すべきだという確信から、一度出した銃を引っ込めてしまったのだ。その結果、人質は犯人に撃たれ、犯人も警官隊に射殺されるという、最悪の事態を招いてしまった。この映画の中では、「生と死の瀬戸際で、何を生き延びさせるか?」という選択の問題が大きなテーマになっているらしい。藪池が森の中で見つけた1本の木。「カリスマ」と名付けられたその木は、自分が生き延びるために根から強力な毒素を出し、周囲の植物をことごとく枯らしてしまう。森の木々を守るためには、カリスマを森から排除しなければならない。しかしカリスマもまた、必死で生きようとしているだけなのだ。カリスマを選ぶか、森を選ぶかという二者択一が、はたして正当なものなのか?

 この映画で描かれている森と木の関係は、言うまでもなく現実の人間社会のメタファーでしょう。社会全体の利益のために、ある種の個性を排除することが正しいのか、それとも個性を尊重して社会が不利益を被ることを選ぶのか……。映画の中で藪池は「どちらも生きればいい。あるがままだ。結果としてどちらも死んだなら、それもあるがままだ」と達観した意見を述べますが、物事がそんなに簡単に済まないことは、映画の中できちんと描かれています。この映画の中で、藪池は自分なりの結論を出した。でも観客はその結論に共感できず、宙ぶらりんな気持ちのまま映画が終わるのを見届けることになる。なんだか煮え切らない、奇妙な映画でした。


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