玻璃(ガラス)の城
City of Glass

1999/10/25 松竹試写室
レオン・ライとスー・チー主演のラブ・ストーリー。
最後の最後になってちょっと泣いた。by K. Hattori


 観ているときは、たいして感動もしなかった。甘ったるくて感傷的な、懐メロ風のラブ・ストーリーだと思っていた。ところが映画が終わってエンド・クレジットが流れ始めたところで、思いがけずウルウルっと来た。特別すごい話じゃないのは確かだけど、この映画はそんな「特別じゃないところ」がいいんだと思う。そもそも映画や小説に登場するような「運命の恋」なんてそう簡単にあるものではないし、その希少な恋に人生や命まで懸けようなんて酔狂は滅多にいない。普通の人は目の前にあるささやかな恋に胸をときめかせ、それを本物の恋だと信じて人生の糧にするものです。

 この映画の主人公たちは、大学時代に運命の人に出会って恋に落ちた。男の名はラファエル。女の名はヴィヴィアン。香港の大学で出会ったふたりはすぐに打ち解け合うが、ラファエルは建築を学ぶためフランスに留学してしまう。手紙と電話のやりとりが1年以上続くが、やがて疎遠になってしまうふたり。やがてそれぞれが別のパートナーと巡り会い、結婚して子供も生まれる。別れてから10数年が経った頃、ふたりは偶然再会する……。

 恋愛映画を観ている観客は、スクリーンの中にある恋が純粋で強靱であるほど、それが「本物」だと思ってしまう。「香港とフランスに離ればなれになったからと言って別れてしまうなら、その恋はしょせん本物ではなかったのだ」。「本物の恋はあらゆる困難に耐えて、恋人同士を最後は結びつけるはずだ」。じつは僕も、そう思ってこの映画を観ていた。一度別れて別の相手と結婚したんだから、前のことは忘れて踏ん切りを付ければいいのに……。そう思った。主人公たちの苦しみは自業自得でしかない。エンド・クレジットが流れてくるまで、僕はそう思い込んでいた。でもエンド・クレジットに流れる感傷的なテーマ曲を聴きながら、僕はハタと気づいたのです。「人間はそんなに強くない」ということに。

 どんな障害にもくじけない恋なんて、普通は映画や小説の中にしか存在しないんです。我々の見知っている恋は、もっとささやかなものです。ちょっとした障害につまずき、些細なきっかけで脆く砕け散ってしまう。大切な恋を失った後で、「あの程度で失う恋なんて、きっと本物の恋じゃなかったんだ」と自分自身に言い訳をした経験は、少なからず誰にでもあるに違いありません。でもそれは言い訳なんです。ささいな行き違いで失ってしまうような恋、優しくいたわってやらないとすぐに傷ついてしまう脆弱な恋だからこそ、人はその恋を大切にしようとするんじゃないだろうか……。

 この映画の主人公たちは、自分たちの若さや弱さから、一度は大切な恋を失ってしまう。だからこそそれを取り戻した時、二度とそれを失うまいと考えたのでしょう。「燃え上がる恋の炎」だけが恋の情熱ではないのです。風に揺らぐロウソクの光のような、ちっぽけだけどぬくもりのある関係を、ラファエルとヴィヴィアンは求めていたに違いありません。

(原題:玻璃之城/City of Glass)


ホームページ
ホームページへ