榕樹(ガジュマル)の丘へ

1999/10/25 メディアボックス試写室
気むずかしい老婆と息子夫婦、若いお手伝いさんの物語。
老人問題と家族の姿はいずこの国も同じだ。by K. Hattori


 近代的なビルが立ち並ぶ広州。一人暮らしの気むずかしい老婆がいる。名前はアーシー。結婚して独立した息子が心配して、身の回りを世話するお手伝いさんを探してくるのだが、アーシーの気の強さに皆が辟易し、長く居着いたためしがない。じつはこの老婆、お手伝いさんが辞めてくれるのがちょっと嬉しいのだ。彼女の願いは、息子が自分を引き取って親子一緒に暮らすことだ。ところが建築関係の仕事をしている息子の方は、商売で手一杯の状態。初めての取引先にデタラメな資材をつかまされ、莫大な借金をこしらえてしまったのだ。息子夫婦は仕事と資金繰りに東奔西走中。アーシーの世話は、魚屋で働いていたシャンという娘が見ることになった。

 中国が政策として一人っ子を推奨し始めたのは、いったいいつの頃からだったのか……。この映画の主人公アーシーには、子供がひとり、息子のトンしかいない。トンの妻ファンも、どうやら一人っ子らしい。人口抑制のための一人っ子政策が行き渡った結果、中国は今、日本以上のペースで高齢化が進んでいるのだ。人間社会は、老いた父母を子供たちが世話することで成り立っている。ところが「一人っ子」「夫婦共稼ぎ」「都会暮らし」では、老いた親を直接子供たちが世話することも困難になってしまう。子供がすぐそばに住んでいるのに、老人たちは危なっかしい一人暮らしを続けざるを得ない。それが不可能になれば、行き先は老人ホーム……。これは社会構造の変化によるものなので、「人情」だの「親孝行」だの言い出してもしょうがない。誰だって好き好んで親を老人ホームに入れるわけじゃない。そうするしかない状態が、社会に生まれているのです。

 中国映画ですが、そのまま日本にも置き換えられるような話です。ここに描かれているのは老人問題であり、家族の問題であり、嫁姑問題であり、地方を離れて都会にでてくる若者たちの問題です。都会暮らしで豊かになることが、逆に生活を不安定にさせてしまうという矛盾も描かれている。この映画に描かれていることは、日本でも今起きていることです。簡単に言ってしまえば、橋田壽賀子ドラマの世界です。

 中国映画の中には、時として物語をひどくメロドラマチックに描いたり、必要以上に感傷的に描いたりすることがあるのですが、この映画にはそうした甘さや湿っぽさがまったくない。目の前で起きている問題を冷徹に見つめ、問題点の細部までをひとつひとつ検分して行く。気むずかしい老婆と若いお手伝いの交流という使い古された人物設定を使いながら、ぐいぐいと現代中国の問題を掘り下げて行くシナリオが見事です。緻密で繊細でありながら、同時に力強さも兼ね備えている。

 若い役者たちの演技がともすると型にはまりがちですが、それを補って余りあるのがアーシーを演じたベテラン女優パン・ユイの名演技。人生の年輪を感じさせるリアルな芝居が、この映画から作り物めいた匂いを吹き飛ばしている。この人が登場すると、画面が締まります。

(原題:安居/LIVE AT PEACE)


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