海賊版 = BOOTLEG FILM

1999/10/27 シネカノン試写室
死んだ女の葬式に出るため同じ車に乗ったヤクザとポリス。
絶え間なく続く会話がとても面白い映画。by K. Hattori


 『CLOSING TIME』で監督デビューした小林政広の第2作目。昨年の東京国際映画祭「シネマプリズム」に出品され、今年のカンヌでは「ある視点」部門に公式出品された作品だ。主演は柄本明と椎名桔平。ひとりは落ちこぼれヤクザで、もうひとりはポリス。だけど彼らは古くからの親友同士。ふたりはある女の葬式のために、冬の北海道にやってきている。女の名は文子。彼女はヤクザとポリスのふたりを愛し、ヤクザの愛人で、同時にポリスの妻だった。文子がふたりと別れて数年。彼女の死の知らせを受けたヤクザとポリスは、数年ぶりに顔を合わせる。やがてふたりの間で、どちらがより多く女に愛されていたかという自慢話が始まる。ふたりは死んだ女の話をしながら、雪の北海道を車で移動して行く……。

 やたらと台詞の多い映画です。映画は「絵」が命で、説明調の台詞が多い映画は、作り手の腕の悪さを証明しているに等しい。しかしこの映画の台詞は、ほとんど説明の機能を果たしていない。ここにあるのは「説明」でも「解説」でもなく、生き生きとした「会話」なのです。会話は時に脱線し、時にギクリとするような真実を語り、かと思えば事態の核心を遠回りしながら、途切れることなく続いて行く。この映画の中では、アフレコによって役者の口の動きと台詞が微妙にずらしたり、時には口の動きを無視して台詞を挿入することで、言葉を周囲の状況から大きく浮き上がらせる演出がしばしば見られる。この映画には、カーチェイスも銃撃も死体も出てくる。でも何より映画をスリリングにさせているのは、登場人物たちの会話なのです。会話がすべて途絶えたとき、この映画は終わります。それまでは死体でも喋る……。

 主人公たちがどんな過去を持っているのか、なぜふたりは親友で、なぜ一方はヤクザになって一方はポリスになったのかなどについて、説明らしい説明はありません。ここで出てくるのは、徹底した無駄話と、死んだ女の話題だけ。この主人公たちは「俺たちって親友だよな」と言いながら、じつは死んだ女を通じてしかつながりを持っていないのかもしれない。ふたりの接点は死んだ女だけ。だから死んだ女の葬式が済んでしまえば、ふたりの関係は終わってしまう。ふたりの男が出会って女の話をし始めたことで、女と過ごした年月が大きくクローズアップされてくる。それしか共通の話題がないのだから、それもしょうがないと言えばしょうがない。彼らの人生にとって、死んだ女はどれほどの意味を持ち合わせていたのか。本当にこれほどムキになって話し合わねばならいものなのか……。男たちが再会していなければ、ふたりは別々に女の葬式に出て、そのままそれぞれの生活に戻って終わりだったような気もするんだけどね。

 話そのものはひどく感傷的なのですが、映画のタッチは極めてドライ。ヤクザが映画ファンで、何かあるとすぐに映画を引き合いに出すあたりは、映画好きならニヤニヤしてしまうことでしょう。「スティーブシェーミ」には僕も笑ってしまいました。


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