真夜中まで

1999/11/05 ル・シネマ2
(第12回東京国際映画祭)
ジャズ・トランペッターが主人公の巻き込まれ型サスペンス。
和田誠監督の最新作だが、面白くない。by K. Hattori


 『麻雀放浪記』『怪盗ルビー』の和田誠監督が、真田広之主演で描くサスペンス・ラブストーリー。事件に巻き込まれたトランペッターが、中国人美女とともに夜の東京を駆け抜ける。左手にトランペット。右のポケットにマウスピース。BGMは「ラウンドミッドナイト」「ソー・ワット」などジャズのスタンダードばかり。次のステージのために午前0時までにライブハウスに戻らなければならない主人公を、ほぼ同じ時間をかけて描くというリアルタイム・ムービーだ。真田広之は『恐がる人々』を含むすべての和田誠作品に出演しているが、今回は監督のデビュー作『麻雀放浪記』でヒロインを演じた大竹しのぶがゲスト出演している他、小さな役まで豪華な顔ぶれ。冒頭のクレーンを使ったワンカット撮影など、トリッキーな撮影技術を駆使した和田監督の集大成になっている。おそらくこの映画は、三谷幸喜の『ラヂオの時間』に触発されたに違いない。一方はラジオ局という小さな空間を舞台にしたリアルタイム・コメディ。一方は東京の街を舞台にしたリアルタイム・サスペンス。ふたつの映画は、まるで双子のように似ている。

 この映画の問題点ははっきりしている。それは仕掛けばかりが先行して、映画そのものはちっとも面白くないことだ。シンプルでタイトな映画のはずなのに、無駄なエピソードが多くて観客の気が散ってしまう。各エピソードそのものは、きちんとした計算のうえに構成されたものだろう。しかしここでは、豪華なキャスティングがあだとなって、小さな「味付け」のためのエピソードが、映画の中央にのさばり出てくる。例えば主人公が地下道でホームレスの段ボールハウスを蹴飛ばす場面は、本来なら主人公の性格を示すだけの小さなエピソードだろう。しかしホームレスを名古屋章が演じ、主人公に向かって説教までしはじめると、この場面は味付けエピソードを大きく逸脱し、映画の中で不協和音をかなではじめてしまう。これは冒頭の大竹しのぶも同じ。スポーツカーを盗まれる唐沢寿明と戸田菜穂も同様だ。観客はこうした顔が登場すると、そこから何か物語が始まるのではないかと考えて、ついつい身構えてしまう。その身構えた気持ちが、せっかくのサスペンスに水を差してしまう。

 通り掛かりの主人公が成り行きで事件に巻き込まれるという古典的なアイデアだが、あちこちに映画マニアである和田監督の映画的素養がしのばれてニヤリと笑ってしまう。一番おかしかったのは『雨に唄えば』かな……。ただ、こうした場面が「お遊び」に見えないのは残念。映画そのものに緊張感があまりないため、こうした小さな脱線が映画全体の足をひっぱってしまうのです。

 演奏シーンがこの映画のもうひとつの見せ場のはずなのですが、真田広之のトランペット演奏にはまったく説得力がない。指使いが正確かなんて僕にもわからないけど、音と指使いのテンポがずれれば僕にもわかる。指使いのアップはプロの演奏家のものを使うなど、工夫の余地はあったんじゃないだろうか。


ホームページ
ホームページへ