ブギーポップは笑わない

1999/11/19 東映第1試写室
高校で起きる生徒の連続失踪事件と“ブギーポップ”の謎。
ぬるい映画ですが、最後はのぼせてフラフラ。by K. Hattori


 映画ファンが映画を評価するとき、「ここを攻められると点が甘くなる」というポイントがいくつかある。例えば、映画の中で映画の話題が出ることや、映画作りの舞台裏を描いた話などはその一例。好きな役者が出ていればそれだけで許せてしまう場合もあるだろうし、自分が暮らしている町や故郷が舞台になっていても点は甘くなる。僕はミュージカル風の演出に弱いし、ガーシュインの曲にはメロメロになってしまう。観客である我々は、映画の作り手が自分と同じ趣味の持ち主だとわかると、途端に映画にも好感を持ってしまうのだ。

 この『ブギーポップは笑わない』という映画は、そんなにできのいい映画ではない。脚本には工夫があって面白いが、登場する若い女優たちの芝居は下手くそだし、演出もぬるすぎる。音楽の趣味もなぁ……。でも僕はこの映画を観てニカニカ笑ってしまった。タイトルにもなっている謎のヒーロー(ヒロインか?)、ブギーポップのコスチュームが一目で気に入ってしまったのだ。これは東映の戦隊アクションもののテイストなのです。僕も「ゴレンジャー」で育ったクチですから、映画を観てすぐに「お前もか!」という仲間意識を持ってしまった。

 原作は中高生に人気のある上遠野浩平のファンタジー・ノベル。しかし予備知識がなくても映画は楽しめます。「口笛を吹きながら人を殺す」と噂されている“ブギーポップ”という謎の人物と、ある高校で起きている生徒の連続失踪事件をからめたミステリー。ひとつの事件を複数の視点から描く、オムニバス構成になっています。ひとつひとつの視点は事件のすべてを見通しているわけではなく、すべての見方は断片に過ぎません。そうした点で、この映画は『市民ケーン』にも似ています。個々の断片からおぼろげに事件の真実が浮かび上がり、最後に全体像をありありと見せる構成は『羅生門』にも似ています。時間の流れを自由自在に入れ替え、入り組んだ物語が最後にパチリと音を立ててかみ合う快感は『パルプ・フィクション』に似ているかもしれません。脚本を書いたのはアニメ映画『パーフェクト・ブルー』の村井さだゆき。『ブギーポップは笑わない』は来年1月からテレビ・アニメでも放送されますが、村井さだゆきはそちらの脚本と構成も担当するそうです。

 この映画の欠点を指摘しようとすれば、いくらだって細かく指摘できます。でもそんなことは、この映画に対して失礼でしょう。どの場面でも流れに緩急がなく、どのエピソードも一定のテンポで話が流れて行きます。映画の前半では、どの高校生も全部同じ顔に見えて、ただでさえわかりにくい物語がますますわかりにくくなっている。でもこうした一定のリズムが、後半では一種異様な迫力を生み出すのです。これは時限爆弾のタイマーと同じです。タイマーの針はいつも同じペースで時を刻むからこそ、見ている方はハラハラする。この映画も前半はじれったくなるほど話が前に進みませんが、終盤は同じペースでもハラハラドキドキさせてくれます。


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