アメリカン・ヒストリーX

1999/12/22 日本ヘラルド映画試写室
過激化するアメリカの人種差別暴力を描いた衝撃作。
エドワード・ノートン入魂の演技を観よ! by K. Hattori


 『ファイト・クラブ』のエドワード・ノートンもすごかったけど、この『アメリカン・ヒストリーX』の演技にはかなわない。この映画に比べたら、『ファイト・クラブ』の芝居なんて学芸会の出し物みたいなものだ。映画を観て頭をぶん殴られたような衝撃を受けることは年に何度かあるが、この映画の衝撃はその「年に何度か」のうちの1回に必ずカウントされるだろう。人種差別やネオナチなど、あまり日本には馴染みのない素材を扱った映画ではあるが、描かれている兄弟や家族の関係は人種者社会的な背景を越える普遍的なもので、観る側の胸にグサリと突き刺さるのだ。シリアスな素材、決して先の展望が明るいわけではないストーリー展開、登場するのはスキンヘッドの荒くれ男ばかりで、きれいなヒロインとの心温まるロマンスなんて登場しない。それでも2時間があっという間の映画なのだ。監督はCM出身でこれがデビュー作のトニー・ケイ。脚本のデビッド・マッケンナもこれがデビュー作。共演はエドワード・ファーロングで、これも素晴らしい芝居を見せている。

 消防士をしていた父親が勤務中に黒人に殺され、それをきっかけに白人至上主義のネオナチ運動にのめり込んでいく兄デレクと、彼を慕って同じようにネオナチ運動に足を踏み入れる弟のダニー。ネオナチ・グループと黒人たちの対立が深まったある日の深夜、自宅までちょっかいをだしに来た黒人3人にデレクが発砲。ふたりが死んで、デレクは刑務所に入ることになった。この事件によって、デレクはネオナチ・グループないで神のように崇拝されることとなり、ダニーも鼻高々だ。だが3年後に出所したデレクはグループを脱会すると宣言し、ダニーにもグループを抜けるように命令する……。

 過去をモノクロで描き、現在をカラーで描くという、ごく当たり前の手法を使っているのだが、このモノクロ映像にしびれるような陶酔感がある。過去の風景は登場人物たちの心象風景であって、事実そのものではない。だからそこでは人種差別的な言動が賛美され、まるでそれが正義であるかのように誇らしげな輝きを見せている。自宅の庭に現れた黒人たちに発砲するデレクは、まるでアクション映画のヒーローだ。バスケット・コートから黒人たちを追い出す場面では、鍛えられた肉体がなめらかに動いて自分たちの正しさを誇示している。こうした描写が、人種差別主義者の「視点」や「思考」をじつに巧みに再現しているように思う。

 こうした差別は映画の中で巧みに相対化され、最終的には差別や憎悪や暴力を否定する側へと物語が着地する。矢を前に飛ばすには、弓を逆方向に十分引き絞らなければならない。上にジャンプするには、まず下に屈み込んで反動を付けなければならない。人種差別を否定するには、まず人種差別の痛快さや醍醐味をたっぷりと描かなければならないのだ。一歩間違えると危険だが、この映画はその危険に挑んで見事に成功した。スパイク・リーの『ドゥー・ザ・ライト・シング』に匹敵する傑作だ。

(原題:AMERICAN HISTORY X)


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