2002年7月の出来事


7月1日(月)
 午前中にW誌の原稿に取りかかる。かなり時間がかかるかと思っていたら、思いの外はかどって午前中のわりと早い時間に完成。ちょうど区切りがいいので昼食を取り、コンビニでぴあを購入してメルマガの編集。これも配信手続きをとってしまう。
 午後は3時半から渋谷のアミューズピクチャーズ試写室で『tokyo.sora』の試写。試写室が満員でかろうじて補助イスに座ったのだが、席の真上がエアコンの吹き出し口だったから、1時間もしないうちに寒くて寒くて……。バッグを抱きかかえてお腹が冷えるのをガードし、半袖シャツでむき出しの両腕をスリスリさすりながらの映画鑑賞。この映画、2時間7分もあるんだよなぁ。たまりません。悪い映画ではないと思うけど、なんだか作品としてはこなれていない部分も多いと思う。大きなあめ玉を口の中でいつまでもいつまでもなめ回しているようなもどかしさがある。ガリッ!と噛んでしまえば、もっと短い時間で終るだろうに。映画の中にはいくつか面白い場面やエピソードもあるのだけれど、その面白さが持続できないのはちと辛い。
 渋谷で簡単に食事をしてから、大森で勉強会。勉強会とは言いながら、今回はほとんど雑談。その後、駅近くの居酒屋でいつも通りの2次会。ここにマスコミでも有名なK弁護士が加わったのだが、今回は人数が多かったせいもあって、僕自身はそちらの話には加わらなかった。11時半頃おひらき。久しぶりに遅くまで飲んでいたなぁ。帰宅してアスピリン飲んで、シャワー浴びて寝る。

7月2日(火)
 前の晩はかなり暴飲暴食に近かったのだが、寝る前のアスピリンとコップ2杯ぐらい飲んだウーロン茶がよかったのか、スッキリと目覚めることができた。午前中に映画の感想を書いてしまうが、前日は試写が1本きりなので楽なものだった。ただし今日は試写開始時間がかなり早いので、その点は気をつけておかないと。
 11時頃には昼食をとり(これじゃ高校生の早弁だ)、12時からメディアボックスで『太陽の雫』の試写。3時間の長尺なので、ふだんより1時間試写スタートが早い。映画はハンガリーのユダヤ人一家が、前世紀末から今世紀後半まで、激動する近現代を生きていくという大河ドラマ。レイフ・ファインズが祖父から父子まで、3代に渡る主人公を熱演。ちょうど数日前からユダヤ教関連の本を読んでいるところだったので、このユダヤ人一家受難の物語はタイミングが良かったかもしれない。
 2本目はTCCでトニー・レオンとサミー・チェン主演のラブコメディ『ファイティング ラブ』の最終試写。下手くそな映画なんだけど、ストレートすぎる感情表現が好感を呼ぶ作品。サミー・チェンが美人だとはまったく思わないんだけど、僕はこういう女性もわりと好きですねぇ。まぁみんな好きだから、人気タレントになっているんでしょうけれど。
 食事をしてから渋谷に出て、ブックファーストで現代教養文庫を少し買っておく。版元の社会思想社が事実上倒産したので、この文庫も今後どうなるかわからない。本屋から消えてからあわてても遅い。手にはいるときに、気になるものは買っておいた方がいい。読むか読まないかは後で考える。たぶん読むでしょう。今回はとりあえず5冊。ドナルド・リチーの「増補・黒澤明の映画」 、M・ガードナーの「奇妙な論理I だまされやすさの研究」 「奇妙な論理II 空飛ぶ円盤からユリ・ゲラーまで」 、田山力哉の「市川雷蔵かげろうの死」 、山口猛の「松田優作 炎 静かに」 。文庫本は雑誌並みに次々棚が入れ替わっていくのが常なのだが、現代教養文庫は定番とも言えるタイトルがいつもずらりと棚に並び、そこに新刊が少しずつ追加されていくというスタイルだった。よほど大きな書店にでも行かないと手に入りにくい地味な文庫だったけれど、なくなるのは惜しいなぁ。映画関連の本はすごく充実していたんだけど……。
 3本目の試写はシネカノンでケン・ローチの『ブレッド&ローズ』。初のアメリカ撮影だそうで、ロスで働く中南米からの労働者が、劣悪な環境で働かされている様子を描く社会派作品。これはこれでいろいろ考えさせられる映画だったけれど、僕にとってケン・ローチというのは『ケス』と『レディバード・レディバード』に尽きてしまうなぁ。最近の彼の映画で、すごいと思ったものはあまりない。もちろんどれも誠実に対象と向き合った映画で、観たあとに好印象は残すんだけど、感情がガーッと掻き立てられるようなエネルギーには欠けているようにも思うなぁ。
 郵便受けをのぞいたら、先日取材を受けた「salida」の掲載号(No.26 7/8号)が届いていた。特集「失業をプラスにかえた5人の体験談」のうちのひとりが僕です。写真入りだけど、今回の写真はわりといい感じかも。記事の内容は、確かに僕が話したことではあるけれど、口調がずいぶん気取っているのは記事をまとめたライターの感覚でしょう。僕のしゃべり言葉のリズムとはだいぶ違うと思うけど、こうしたインタビュー記事は結局半分くらいがライターの捏造だからなぁ。捏造が言い過ぎなら「再構成」と表現すべきか。僕も仕事でインタビューをすると、記事を作るときは相当大胆に「再構成」してしまう。そんなわけで自分が取材されたときも、他のライターが発言を再構成するのは大目に見ようと思ってます。
  ユダヤ教の本は今朝の段階で読み終わったので、今は少し前に古書店で購入したままになっていた「少女たちの魔女狩り―マサチューセッツの冤罪事件」を読み始めた。映画『クルーシブル』のもとになったセーラムの魔女裁判事件を、当時の資料をもとにして丁寧に再現したノンフィクション。これは並の小説などよりよほど面白そうだ。まだ読み始めたばかりだけれど、全体に細かな注がたくさん入っている研究書でありながら、同時に歴史小説のようにも読めてしまう本。

7月3日(水)
 午前中に映画の感想を3本書いてしまう。やはりこのぐらいのペースが自分にはちょうどいいような気がするなぁ。
 午後はメディアボックスと映画美学校をはしごして試写3本。空模様が思わしくなかったので自転車で出かけるのはやめたのだが、結局この日は雨が降らなかった。湿度が結構あって、地下鉄の駅から試写室に歩くだけでもジットリと汗ばんでくる。
 1本目の試写はメディアボックスで『漢方の王様』という日中合作映画。借金で首の回らなくなった弱小商社の社長が、中国漢方ツアーを企画するというコメディ。中国の漢方医を演じているのは名優の朱旭。これで上質のヒューマンコメディだと誤解した僕が悪かったのだけれど、この映画は相当のバカ映画です。プロデューサーは映画評論家でもある江戸木純。そうか……、こうなるのか……。
 2本目は同じメディアボックスで『ロバート・イーズ』というドキュメンタリー映画。主人公のロバート・イーズは性同一性障害で女性から男性に性転換した人なのだが、この映画はその彼が末期の子宮ガンで世を去るまでのほぼ1年間を追っている。彼の周囲には、やはり性同一性障害の恋人ローラがおり、性同一性障害の友人たちも多い。ゲイについてのドキュメンタリーは多いけれど、性同一性障害についてのドキュメンタリーを観たのはこれが初めてで、なかなか興味深かった。ただし、泣ける映画ではない。いろいろと考えさせられる映画ではある。ジェンダーフリー論者は、性同一性障害をどう考えるのだろうか。ちょっと興味があったりもする。
 食事をしたあと八重洲ブックセンターへ。現代教養文庫を探そうと思ったのだが、もう文庫コーナーからは姿を消していた。店員にたずねたわけではないから、ひょっとしたらわかりにくいところにあったのかな。版元が倒産すると店頭在庫は返品がきかない不良債権になってしまうので、おそらくどの本屋もあわてて在庫を問屋に戻しているのではないだろうか。まだぼんやりと店頭に在庫を置いている本屋を見つけたら、なるべく買っておくしかないなぁ。
 文庫コーナーからの帰り道、新興宗教やカルト宗教の棚を何気なくみていたら、そこには今なにかと評判の「ひとが否定されないルール―妹ソマにのこしたい世界」と他の日木流奈の本がどっさり置いてあった。フリーメイソンやカバラや神智学の本とこれらが一緒に並んでいるというのはなかなか痛快。これは八重洲ブックセンターの見識だなぁ。本の1冊を手にとってみると、中には「前世」だの「未来の記憶」だのという言葉が並んでいて、これがニューエイジ系の本であることはすぐわかってしまう。次の試写室に向かう道々考えたのだが、結局のところ日木流奈が書いたと称するものは、大本教のお筆先と同じなのでしょう。だからそれが本物なのか偽物なのか、流奈少年本人が書いたのか、それとも母親が書かせているのかと問いつめるのはナンセンスだと思う。お筆先は信者にとっては神の啓示だけれど、そうでない人にとっては砂の上に書かれた落書きだもんね。日木流奈の信者(とあえて言う)にとって、それが本物であることは紛れもない事実で動かしようがない。でもそうでない人にとっては、「母親が書いているんでしょ?」ということになる。これは水掛け論になるだけ。結論は永久に出ない。ただし、日木流奈についてドキュメンタリー番組を作ってしまったNHKは、その見識を疑われても仕方がないだろう。しかも視聴者からの問い合せに対して、「あれは本物だ」という釈明番組まで放送したというではないか。僕は大本教がインチキだとは言わない。でもNHKが大本教を「本物だ!」と主張する番組を作ったとしたら、それは大問題だと思う。日木流奈についても、それは同じことが言えるのではないだろうか。日木流奈の本を、僕はインチキだとは言わない。それが書店のニューエイジ系の棚で、シュタイナーやグルジエフの本と一緒に並んでいる限り、それは「信じる人が信じればいいもの」だからあれこれ揶揄するのは野暮というものです。でもNHKはそれを真実だと思ってるのかなぁ。ニューエイジは一見すると宗教色がなさそうに思えるから、それにうっかりはまる人もいるんでしょうけど、NHKは視聴者から抗議があった段階でそれに気付くべきだろうに。
 と思いながら、3本目の試写は映画美学校で『旅立ちの汽笛』。『あの娘と自転車に乗って』に続く、アクタン・アブディカリコフ監督のキルギス映画。今回のテーマは「愛」かな。思春期の少年たちの性に対する目覚めを描くと共に、男と女の愛憎の深淵をかいま見させるようなエピソードもある。なかなか好印象。
 米がなくなっていたので、帰りに近所のスーパーで買物してから帰宅。amazonのリンクだけ作って寝てしまう。現在読んでいる「少女たちの魔女狩り―マサチューセッツの冤罪事件」は、映画『クルーシブル』とはずいぶんと雰囲気が違う。この事件をアーサー・ミラーがどのように解釈したのかを再検討したいのだが、『クルーシブル』はDVDが未発売なので、とりあえず近いうちに原作戯曲を手に入れようと思う。図書館に行けばあるかな。インターネットで調べてみなくっちゃ。

7月4日(木)
 午前中に映画の感想を書いていたのだが、『ロバート・イーズ』のところでいきなり引っかかった。トランスジェンダーとか性同一性障害というものが、僕にはいまひとつよくわからない。身の回りにゲイの人はいても、トランスジェンダーの人はいないしなぁ……。いや、実際にはいるのかもしれないけど、そうだとカミングアウトされたこともないし。(もちろんそんなことはプライバシーなんだから、カミングアウトする必要なんてぜんぜんないんだけど。)ジェンダー関係では、最近さかんに「ジェンダーフリー」ということが言われるのだけれど、これは相当に怪しく、しかも危険な思想だと思う。特に性同一性障害で悩んでいる人にはいい迷惑だ。性同一性障害の人たちは、自分の生まれ持った性別とは別に「男になりたい」「女になりたい」と思うわけです。つまりジェンダーにとらわれない「ジェンダーフリー」とはまったく逆で、かたくなにジェンダーにとらわれた生き方を求める。彼らや彼女たちは個人に固有の「私らしく生きる」ことより、まず「男らしい男になりたい」「女らしい女になりたい」と願うからこそ、高額の手術費用まで支払って性転換手術を受けたりもする。ジェンダーフリーなんてものは、ボーヴォワールの言葉に感化されたフェミニストが「そうか、私は女に生まれたんじゃなくて女になったのだ!」と開眼してしまったことから生まれた幻想だと思う。男と女は生まれながらに男であり女なのです。それを逆説的に証明してしまっているのが、性同一性障害の人々だと思う。
 午後はアミューズピクチャーズ試写室で三原光尋監督の新作『ドッジGO!GO!』を観る。これはすごくいい映画だった。小学生たちの表情がじつにいい。特に主演の田島有魅香と、韓国から参加した子供たちが最高。この子供たちだけで、100点満点で70点ぐらいはあげられる映画だったなぁ。
 2本目はソニーで『スチュアート・リトル2』。これは1作目よりずっといい。今回は2羽の鳥が重要な役回りで登場するのだが、このアニメーションは素晴らしかった。表情や仕草などをたっぷりと擬人化しながら、それでもリアルな鳥の動作をきちんと残してある。スチュアートのガールフレンドになる小鳥の声を、メラニー・グリフィスが演じている。
 築地から歩いてメディアボックス試写室へ。途中でパンを買って、歩く道々食べる。本日ラストはイラン映画『チャドルと生きる』。イランで虐げられている女性の姿を、複数の女性たちのエピソードをリレー風につないでいく映画。1本の映画だけれど、オムニバス風の構成になっている。イランでは女たちが全員牢獄に囚われていると訴える、この映画のメッセージは明快。しかし1日の終りに、この映画はちときつかった。先に観た2本は元気が出る明るい映画だったのに、この1本でドーンと暗くなってしまった。
 帰宅したら郵便受けにamazonからの荷物が入っていた。中身はエマニュエル・カレールの「嘘をついた男」だ。先日フランス映画祭横浜で観た『見えない嘘』の原作。面白そうな本だけれど、これを読むのはしばらく後回しになりそうだ。まずは「少女たちの魔女狩り」を読んでしまわなければ……。映画『クルーシブル』の主人公になったジョン・プロクターと妻が逮捕され、下女のメアリ・ウォレンが証言をするくだりを読んだ。映画ではメアリが彼女自身の野心からジョンの妻を陥れるような話になっていたが、この本の著者はメアリにかなり同情的。どちらが正しいのか、それはもはや誰にもわからない。『クルーシブル』の原作「るつぼ」は、近くの図書館にあることがわかったので、「少女たちの魔女狩り」を読み終わったあとはまずそれを読んで、そのあとが「嘘をついた男」かな。

7月5日(金)
 朝から映画の感想を書き始めて、途中休憩を入れて夕方には書き終わる。ああ、疲れた。本屋で雑誌をパラパラめくっていたら、日木流奈を紹介したNHKの番組に対する批判本「異議あり!『奇跡の詩人』」が出版されているとのこと。帰宅してからインターネットでいろいろ調べたら、この話題についてのサイトが出てくる出てくる……。
 とりあえず僕も批判本を購入してみようと思ったのだが、定価1300円だとamazonで送料無料にならないんだよなぁ……。何か他の本と合わせて注文しなければ。こうして部屋にはまた本が増えていく。
 ネットを見るとドーマン法やFCについての批判もかなり多いようなんだけれど、誰かこれをネタにしたフェイク・ドキュメンタリーを作らないかなぁ。ドーマン法でペットの犬に高度な知能を身につけさせた飼い主が、文字盤を使って犬と高度なコミュニケーションをとる話。犬が面倒くさければ猫でもいいし、ハムスターでもいいけどね。ペットは途中で嫌がって暴れるかもしれないし、よそ見をするかもしれないけれど、それは「ブラインドタッチだ」と弁明すればいいのだ。ペットの視点から現代社会を批判するエッセイを書かせたり、人間たちを風刺するポエムでも書かせることも忘れてはならない。内容は愚にもつかない、それだけに誰でもわかる幼稚な文明批評でいい。

7月6日(土)
 午前中に仕事の原稿にめどを付け、昼前からDVDで『オーメン』を観る。やれ水が飲みたい、やれトイレに行きたい、やれ何か口に入れるものがほしいと、しばしば中断しながらのDVD鑑賞は、映画を観るスタイルとしてははなはだ邪道だなぁ……。淀川長治さんは亡くなる前まで、病室のベッドでサンプルビデオを観る「試写会」を行なっていたそうだけれど、その時は病室を暗くして、見舞客の出入りも制限していたらしい。やっぱりそのぐらい緊張感がないと、映画を観たという「体験」は生まれないのかもしない。ビデオやDVDの気楽さもいいんだけれど、本来はひと続きの時間として計算されているはずの物語を、視聴者の都合で分断してしまうのは、映画との大きな違いだと思う。(もっとも試写室でもリールのかけ間違いなどで、勝手に映画が分断されてしまうこともある。もっともその間に観客が何かをするわけでもなく、暗闇の中でじっと次のリールが上映され始めるのを待っていることが多い。これはそうした「空白の時間」を作ることで、認識上は映画がひと続きのものとして了解されるために必要なのかもしれない。)
 午後は念願の魚釣り。自転車で月島の釣具店までアオイソメを買いに行き、今回は佃堀でハゼ釣りにチャレンジ。潮の状態はそれほどよくなかったのだが(この日は若潮)、それでも3時間ほどで20匹以上を釣り上げたから、釣果はまずまずというところ。このハゼはそのまま家に持って帰って、天ぷらにして食べてしまった。隅田川の河口近くは決して生育環境の水質が良いものとは言えないのだが、魚の身が泥臭いということはない。一匹ずつワタを出し、ウロコを簡単にこそげ落とし、水に溶いた天ぷら粉をからめてさっと揚げて塩をふると、小さいながらなかなかの美味。ただし僕は最近胃の調子が悪いので、揚げ物は少々胃もたれがした。
 昨日注文した本が、早くも発送されたとのメール。この日の内に届くかと思ったのだが、釣りをしているうちにすれ違いになったようだ。

7月7日(日)
 午前中はCS。ハナマサでスパゲティやうどんを買い、昼食を食べてから帰宅。昨日の釣りの餌の残りが冷蔵庫に入ったままだったので、それを持ち出して今日も釣りをすることに。午前中に佃ではお祭りに使う道具類を堀の泥の中から掘り出していたが、午後はそうした作業も一段落して多くの釣り人が堀に糸をたらしていた。今日は午後5時までと決めて釣り始めたのだが、15センチ以上ある大型のハゼも含めて20匹ほどを釣り上げた。大型のものは刺身でも食えるそうだが、昨日と今日の2日連続でハゼの天ぷらを食べる気にもなれず、釣ったハゼは帰るときに全部堀の中に戻してしまった。残ったエサも堀にあけてしまって帰宅。
 暗くなってからamazonに注文していた「異議あり!『奇跡の詩人』」「宗教に揺れるアメリカ―民主政治の背後にあるもの」が到着。やはり昨日の夜か今日の午前中の時点で、1度配達があったようだ。さっそく「異議あり〜」を読み始めたのだが、中身は日木流奈やその著書、彼の家族についての批判ではなく、彼に「奇跡」を起こしたと言われるドーマン法というプログラムや、障害者が介護者の手助けで意思表示するFC法に対するものが大部分。第2章は障害児を持つ家族の手記にあてられているのだが、これはかなり読み応えがあった。ドーマン法の評価について、僕は医学については素人なので何とも言えない。しかしこれがアメリカにごまんとある民間療法の一種であることはわかった。ちょうど読んでいた「奇妙な論理I だまされやすさの研究」に民間療法についての記事があったところなので、ドーマン法も典型的なその手の療法であることは一目瞭然。ただしこの手の民間療法は、非科学的だろうが、人体に害があろうが、支持者さえいれば結構続いてしまうようだ。「奇妙な論理」には菜食も含めた自然食、断食法、整骨(カイロプラクティック)などが怪しげな民間療法の典型例として紹介されているのだが、これらの支持者は今でも多い。まぁ中には、その後に科学的な検証作業をへて、何らかの効果が立証されたものもあるのかもしれないけれど……。民間療法にはリバイバルブームがあるらしく、最近「週刊金曜日」で話題になった牛乳断ちには50年以上の歴史があることがわかって笑ってしまったりもする。いや〜、この本は面白い。社会思想社がつぶれて絶版になってしまったけれど、ぜひ他の出版社で復刊されることを願う。できれば翻訳で削除されてしまったチャールズ・フォートと彼の学会などの項目も、すべて復活させた完訳版が登場することが望ましい。

7月8日(月)
 まだ梅雨が明けたわけではないが、朝起きたら外は青空。日が照ってグア〜ッと暑い。天気予報では昼間の気温が35度になると言っている。午前中にメルマガの編集などを済ませるが、ニュース項目をどうしようか迷っている内にお昼。
 午後は東映で『2002夏・東映アニメフェア』 の試写。3本まとめて1時間40分は、この番組にしてはちょっと長いかも。デジモンの新作はもう初期の作品とはまったく別物になってしまった。つまらない。でも番組としては、これが中心なんだよなぁ。2本目はKSS試写室に移動。間違えて京浜東北線で蒲田まで行ってしまったよ……。あわててもどって五反田下車。観た映画はHiguchinsky監督の新作『TOKYO 10+01』。前作『うずまき』を映画瓦版で酷評したときは監督本人からメールをもらいましたけど、今回の映画の導入部あたりは『うずまき』よりは圧倒的に面白いと思った。でも中盤以降はダレダレだ。
 映画の後、五反田のBOOK OFFで100円の棚をあさる。ベティ・J・リフトンの「子どもたちの王様〜コルチャック物語」、G・タリーズの「汝の父を敬え〈上〉」「汝の父を敬え〈下〉」、杉山平一の「映画芸術への招待」、福島瑞穂の「結婚と家族〜新しい関係に向けて」、西尾幹二の「自由の悲劇〜未来に何があるか」、吉村正和の「フリーメイソン〜西欧神秘主義の変容」、金子史朗の「聖書の奇跡〜その謎をさぐる」、渡辺浩の「映画キャメラマンの世界」、森永卓郎の「〈非婚〉のすすめ」を購入。大江戸線で勝どき下車。ペットショップでハムスター用のエサと砂を買って帰宅。途中で新しくできたスーパーを覗いてみたけど、これはちょっとすごいや。生鮮食品の充実ぶりは嬉しい。

7月9日(火)
 朝のうちに福島瑞穂の「結婚と家族〜新しい関係に向けて」を読み終える。内容的に3割ぐらいはうなずけるけれど、5割はデタラメ、残り2割は論理的に破綻しているのに、それに著者も編集者もまったく気づいていないようだ。10年前に出た本なんだけど、著者は今でも同じようなことを考えているのかしらねぇ。例えば夫婦別姓が必要な理由を「結婚によってほとんどの女性が改姓している」ことと「職場や実生活で通称が使用しにくい」という2点に求めているのだけれど、法的には男女どちらの姓にまとめてもいいのだから、まずは結婚時に女性側の姓に男性が改姓するよう働きかけ、その上で男性が職場や実生活で通称を使用できるようにする方がいいんじゃないの? 法律上改姓する男性が増えれば、通称使用者もどんどん増えて行くと思うよ。でもこの本では、そんなことはまったく考慮に入れられていない。「結婚すると女性が改姓しなければならない」という社会通念を何の疑いもなく受け入れてしまった上に、夫婦別姓議論が乗っかっているというバカバカしさ。またこの本は戸籍制度が国家による家族の統制管理であることを指摘し、著者自身は事実婚という選択をしたことを紹介する。だが夫婦別姓が制度化されれば、かえって「法律婚」の間口が広がって国家による結婚の統制管理は強まるはず。また「姓の存続」という形で縦方向の家意識も強化される。夫婦別姓は「戸籍から個籍へ」という道を遠ざける。夫婦別姓制度などなくとも少しずつすそ野を広げつつある多様な結婚観、多様な家族観を、国家が管理できる「法律婚」の狭い範囲に押し込めてしまう。夫婦別姓で男女関係はより保守的なものになるはずだ。
 この本にはデタラメな部分が多いのだが、中でもっとも論理的にデタラメなのは、以下のような部分だろう。『今は、過渡期だから、「親子で姓が違う」なんていうことが眼をひくかもしれないが、夫婦別姓が選択的に導入されて、たとえば、別姓を選択する人がジリジリふえていけば、「子どもがかわいそう」なんて言う人はいなくなっていくと思う。「こういう家庭が一番」というのがなくなって、いろんな家庭があるという方が、母子・父子家庭、離別家庭、再婚カップルの家庭、「国際」結婚の家庭、同性のカップル、などにとっても生きやすくなるのではないか。』(P161)。福島瑞穂がなぜこの中に「同性のカップル」を入れたのかよくわからない。再婚カップル、国際結婚などは、すべて法律婚が可能だ。母子家庭の中には私生児を産んだシングルマザーもいるだろうが、法律婚していたカップルが離別・死別することで母子家庭や父子家庭になることも多い。でも同性カップルが「結婚」生活を送るには「事実婚」しかないではないか。でも夫婦別姓は「別姓でいたいから事実婚を選択する」というカップルに入籍の道を開くことで、その他の理由で事実婚を選ぶことしかできない人たちを社会の少数派に追いやってしまう。同性カップルを保護するためには、まず「事実婚」の社会的な位置を法律婚に近いところまで格上げさせなければならない。戸籍上の夫婦別姓はそのあとに考えたって構わない。
 福島瑞穂は「夫婦同姓」によって家族が一体感を得られるというのは幻想だと考えているようだが、だったら夫婦が「入籍」や「届け出」によって一体感を得られるというのも幻想ではないのか? なぜ結婚というきわめてプライベートな問題を、国家に届け出て承認を得なければならないのだ? それによるメリットは何なの? 福島瑞穂が夫婦同姓という制度を批判しつつ、その根本にある「法律婚」という枠組みそのものを批判しない。福島瑞穂は「夫婦別姓」が法制化されたら、イの一番に自分も夫と入籍して世間並みの法律婚夫婦になりたいのではないか? (彼女は夫婦別姓論の旗手だから、制度ができたらその適応第一号に名乗りを上げる可能性は十分にあり得ることだ。)
 夫婦別姓は大いに結構。だがそれを戸籍制度の改正に結びつける必然性はさらさらない。結婚して法的に改姓した人が日常生活で旧姓を使いたければ、旧姓を通称として使い続けられるように制度を作れば問題は解決してしまう。まずは役所や国公立の施設で、通称としての夫婦別姓が可能な仕組みを作ればいいのだ。民間はそれにならって、会社でも一般生活の中でも、通称としての夫婦別姓は定着していくだろう。「戸籍が直らないのでは一貫性がない」と夫婦別姓論者は言うだろう。だが我々の生活が、なぜいちいち「戸籍」と一致していなければならないの? 事実婚の夫婦が通称として同姓を名乗ることだってあるのだから、法律婚の夫婦が通称として別姓を名乗ってなぜいけない? なぜ法律上の名前と、日常で使う名前が完全に一致していなければならないの? 芸名やペンネームといった特殊な例を出さずとも、姓名判断で画数がいいという理由から、日常で使っている名前を勝手に変えてしまう人などいくらだっているよ。
 戸籍と生活を一致させたい夫婦別姓論者は、結局のところ自分の生活のあり方について「国家のお墨付き」がほしいのです。夫婦別姓という主張そのものが、一見男女平等でラジカルなものに見えるから気づかない人も多いのだけれど(福島瑞穂も気づいていない)、夫婦別姓論者の多くは「国家が国民生活をすべからく管理すべし」という国家主義者なんだよ。夫婦別姓が法的に認められたら、少子化でひとりっ子も多い世の中だから、家名存続のための別姓夫婦は増えるだろう。別姓夫婦に子供が産まれれば、その子供の姓をどうするかで親戚があれこれ夫婦の問題に口を出すようになるだろう。こうして日本の「家意識」は再生産される。また入籍しない同棲カップルや事実婚のカップルに対して、「ちゃんと籍を入れるべきだ」というプレッシャーも強まるだろう。今よりずっと息苦しい世の中になることは間違いない。
  国家による国民生活の統制管理をぶち壊すためにも、事実婚の権利拡大を目指せ。非嫡出子の制度的差別を廃止し、父親の認知があればすべて平等に子どもとしての権利を認めろ。同性だろうと異性だろうと、生活を共にするパートナーに対して法律婚と同等の諸権利を認めろ。そうした問題をひとつずつクリアしていくことで、今より自由な世の中が生まれるんじゃないかな。
 午前中は映画の感想を2本書いて、メルマガの編集発行手続きをする。午後は出かける前に近所の薬局に写真の現像を出したら、そこの店主が写真を趣味にしているとのことで、10分ほど写真談義に花が咲いた。新佃島物語というホームページを作っているという。TCCで『RED HARP BLUES』を観た後、ワーナーで『アマデウス/ディレクターズカット版』の試写。『アマデウス』は今から18年も前の映画なんだなぁ……。今回のディレクターズカットはエピソードが細かく増えていて、人間ドラマがより厚みを増している。試写室から出てきたら、次は同じ試写室で『タイムマシン』の試写だそうで……。食事をして夜はプラゼールで『エンジェル・アイズ』の完成披露試写。ルイス・マンドーキの丁寧な生活描写が、この映画ではじつに素晴らしい効果を上げている。

7月10日(水)
 午前中から映画の試写を4本観る予定を立てていたのだが、予定はいつだって未定。部屋を出るのが少し出遅れたことに加え、降りるべき駅で地下鉄を降り損なって(ボンヤリしていたのが悪いんだけど)、結局そのまま部屋にUターンしてきた。これですっかり気勢がそがれてしまったので、今日は部屋で映画の感想を書いたり、本を読んだりして過ごすことにする。まずは田山力哉の「市川雷蔵かげろうの死」 を読んでしまう。その後、山口猛の「松田優作 炎 静かに」に取りかかる。たぶんこれも、今日明日中に読み切ってしまうだろうと思う。
 台風が近づいていて、朝から雨がパラパラ降っていたのだが、夕方から風も強くなってきてベランダのプランターで花を咲かせかけていたオシロイバナが根本から倒れてしまった。一部は支柱で支えていたのだけれど、支柱のない部分はこれでダメになってしまうと思う。
 昨日の夜ぐらいから映画瓦版のHPが表示できなくなっていたが、夕方にガイアックスに電話してサーバの再起動をしてもらって復旧。ただしそのあとで届いたメールで、ガイアックスが現在のサーバを閉鎖する予定だと知らされる。PLAZAGAIAXは既にずいぶん前から開店休業状態だから、サーバの閉鎖は時間の問題だと思っていましたが……。問題はガイアックス側で代替のサーバを用意してくれるかどうかだけれど、もしそうした用意がないのであれば、こちらで移転先サーバの手配をしなければならない。最近はサーバのレンタル料も安くなっているので、仮に独自ドメインを取得したとしても月に数千円で借りられるだろう。でも今まで無料だったわけだしなぁ……。これはうかうかしていると移転先が決まらないまま現在のサーバが閉鎖ということになりかねないため、なるべく早くガイアックス側の対応を確認し、次の手を考える必要がある。
 夜になって郵便受けを見に出たら、ヤフオクで購入した「ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀」が到着していた。

7月11日(木)
 「松田優作 炎 静かに」を読了。遺作となった『ブラック・レイン』とその前後に、松田優作と親しくしていた山口猛が書いた本。『ブラック・レイン』の撮影前に松田優作が自分の病気を知っていたという「伝説」を、この本は明確に否定する。松田優作は『ブラック・レイン』を足がかりに、俳優としてさらにもう一段ステップを昇ろうとする意欲と自信にあふれていた。尊敬するハリウッドの俳優たちと、対等に仕事ができる立場になったという自信が、『ブラック・レイン』後の彼をさらに一回り大きな俳優に成長させていた。それだけに、彼の突然の死が残念なのだと山口は述べている。松田優作は『ブラック・レイン』で燃え尽きたわけではなく、『ブラック・レイン』は新しい松田優作の第一歩でしかなかったのだ。
 午後は先日観そびれた『釣りバカ日誌13/ハマちゃん危機一髪!』の試写からスタート。今回は三國連太郎の影が薄く、かわりに丹波哲郎が大活躍するのだが、西田敏行とのかみ合わせがあまりよくないようにも思えた。映画に勢いがないから、いつもなら笑って見過ごせるハマちゃんや鈴木建設内部のセクハラ体質が、露骨に前面に出てきてしまって、観ていて不快とまでは言わないが、あまりにも無神経すぎて首を傾げてしまうような場面も多い。例えばハマちゃんが一緒に出張に行った鈴木京香と同じ部屋に入り、突然着替えを始めるとかね……。こんなものは最初に部屋に案内された段階で、即座にもうひとつ部屋を取るべきでしょうに。30過ぎの鈴木京香をつかまえて「ミス鈴建 」と言ってしまうのも、なんだか嫌味に聞こえてしまうんだよなぁ。ミスで悪うございましたね。鈴木京香と小澤征悦のツーショットで、そこに恋愛感情の芽生えを感じさせようとするのもチト苦しい。ただしさすがに松竹の看板番組だから、脇の小さな役にも杉浦直樹や左時枝といった顔ぶれが入って、こうした場面が結構印象に残るものに仕上がっている。
 2本目は東宝で『バルニーのちょっとした心配事』。これは面白かった。ファブリス/ルキーニ演じる主人公をめぐって、妻、恋人1(男)、恋人2(女)、妻の愛人、妻の愛人に想いを寄せていた娘などが、丁々発止のやり取りを繰り返す。特に主人公の家に全員が集まる映画中盤がいい。オリエント急行が登場する終盤は、もうちょっとかなぁ。もともと舞台劇だったような気配があるけれど、それが映画終盤の小さくまとまっていくあたりに現れてしまったのかもしれない。
 食事をして本屋で時間をつぶしてから、夜は『タイムマシン』の試写。映画前半から中盤まではそこそこ面白いけど、終盤はゲテモノ趣味炸裂のB・C級アクション・アドベンチャー映画になってしまう。それでも最初に思っていたよりは、ずっと面白い映画だった。物語にはひねりがないけれど、美術やVFXはなかなか見せてくれる。エンディングで80万年先の未来と、19世紀末の研究室がオーバーラップしていく場面はすごくいい。
 帰宅したら玄関に宅急便の伝票が挟まっていた。不在時にamazonから先月注文した「全集黒澤明(最終巻)」その他が配達されたようだ。これは明日受け取ることになるのかな。それにしても、最近本を買いすぎだなぁ。まったく読む時間がない。DVDも観る時間がないのに、次々買ってしまう。困ったものだ。雑誌の取材の電話が入る。夏休み映画についてのコメント。

7月12日(金)
 昨晩ほとんど仕事をしないまま寝てしまったことが響いて、午前中はその埋め合わせにかなり時間を取られてしまった。映画の感想がほとんど書けないまま午後になり、イマジカまで『トータル・フィアーズ』の試写を観に行った。本当は金曜は仕事のために丸1日空けておきたかったのだけれど、この試写を観ないことには書けない原稿が1本あるから仕方がない。映画は予告編を観たりして予想していたものより、ずっとハードで見応えのある本格的なポリティカル・サスペンスだった。一応ジャック・ライアンものなんだけど、執筆・出版の順番と映画化の順番やタイミングが必ずしも一致していないので、シリーズ作品としては変なことになっている。この映画に登場するジャック・ライアンはまだCIAの下っ端情報分析官だし、結婚もしてなければ子どももいない。つまりアレック・ボールドウィンやハリソン・フォードが演じたライアンより、ずっと前の話ということになる。ところが物語の時代背景は現代だから、シリーズ映画としては齟齬が出てきてしまうんだよなぁ。一種のパラレルワールド状態。あるいはジャック・ライアンのジェームズ・ボンド化かもしれない。
 映画の後、五反田の東急ストアでベッドの敷パッドを購入。五反田から月島まで地下鉄で帰れるので、こうしたかさばる買物は、近所の寝具店やスーパーより五反田の方が荷物運びが楽なんだよね。月島についてから近所のスーパーで夕食の材料と発泡酒を買って帰宅。さっそく飲み始めてしまったので、またまた仕事が進まなくなる。
 ベッドに横になって、長らく読み続けていた「少女たちの魔女狩り―マサチューセッツの冤罪事件」を読了。これは読むのがしんどかった。内容的には小説以上にドラマチックで面白いのだが、これが全部実話だと思うと気が滅入る。しかもこうした事件は、今も我々の身の回りで起きているではないか。アーサー・ミラーはこの事件を戦後の赤狩りと重ね合わせて「るつぼ」という戯曲を書いた。赤狩りは確かに、現代の魔女狩りそのものだった。だが僕はこの本を読みながら、一時期マスコミで騒がれていた所沢高校の国旗国歌ボイコット問題を連想していた。大人と子どもの間で意見が対立したとき、どちらの言い分が正しいとするべきか? 17世紀末のマサチューセッツ州セーラム村や現代の日本の一部の学校では、子どもの意見がひたすら高く評価され、無条件に正しいとされた。子どもたちの澄んだ目には、大人たちがうかうかと見過ごしている大切な真実が見えている。子供たちは世の大人たちが当たり前だとしていることを、先入観のない鋭い視点から糾弾する。子供たちが全身全霊をかけて訴えかけるその叫びに、心を動かされない大人がいるだろうか。セーラム村の法廷で起きていたことと、日本の一部の学校で起きていたことの間に、少なくとも構造的な差はあまりない。一方には厳格なピューリタン思想があり、一方には極度に純化された人権主義がある。子供たちの声に大人たちが振り回され、善意や正論の声はヒステリックな叫び声の中にかき消されてしまう。
 子どもは無垢で、基本的に善人だと考えている人は、一度セーラムの事件について読んでみればいい。そこでは十代の少女たちが近所の大人たちに根も葉もない言いがかりをつけ、その結果として19人が縛り首、1名が拷問死、数名が獄中死したのだ。そうなってしまった原因にはもちろん、当時の迷信深いピューリタン信仰もある。だがそれと同時に、「子供たちが嘘をつくはずがない」「嘘をついているとしたら大人たちだ」という、人々の思いこみがあったことも事実だろう。

7月13日(土)
 午前中にNW誌の原稿を入稿し、残っている映画の感想文を2本書いてしまう。午後は聖書フォーラムのオフ会。昼は飯田橋の摩天楼大飯店でランチ。その後、凸版印刷の印刷博物館で「ヴァチカン教皇庁図書館展」を見学。これはひとりで訪れていれば30分で全部見てしまっただろうが、人数が多いので1点ずつ見るのにやたら時間がかかる。出品品ひとつずつについていちいち論評しおしゃべりしながら全体をゆっくり見て回る。夕方からは信濃町のガーデニングカフェでディナーオフ。9時半過ぎに解散。

7月14日(日)
 昨夜はかなり飲んでいたせいか、今朝は少し朝寝坊。午前中はCS。昼は素麺を茹でてたっぷりの薬味で食べる。午後に帰宅して夕方まで昼寝。C誌の原稿を少し書き始め、目鼻が付いたところで佃の盆踊りと月島の草市へ。夕食はもんじゃ。チューハイを飲んでしまったので帰宅しても仕事になるはずもなく、残りは明日以降。こうしてまた、仕事が押していく……。あ〜あ。
 フランス映画祭で観た実録映画『見えない嘘』の原作「嘘をついた男」を読み終える。映画が犯人の男の一人称で事件の全貌を追ったものだとすれば、この原作は作者のエマニュエル・カレールが犯人の心の謎に迫っていく過程を、作者の一人称で綴った実録犯罪エッセイといった雰囲気。映画はこの本を核にして、かなり内容を膨らませているようだ。監督は犯人に直接は取材をしていないと言っていたけれど、おそらく当時フランスで出回っていた新聞や雑誌の記事、テレビのドキュメンタリーなどを追いに参考にしたのだと思う。原作「嘘をついた男」の終盤は、映画では割愛されている逮捕されたジャン=クロード・ロマンの裁判や獄中での様子を伝えてくれる。十代阪大を犯した男が、はたして更生できるのかどうかという難しいテーマだが、作者のカレールはロマンが大げさに自らの罪を反省している姿に、かなり懐疑的な視線を向けているようだ。もちろんロマンが獄中で何十年かを過ごすうちに、自らの罪を本当に悔い改めることがある可能性もある。だが少なくともこの本が書かれた時点でロマンが見せている神妙な態度は、彼の病的なウソである可能性が十分にある。なぜ彼がそこでウソをつく必要があるのかわからない。必要がないのにウソをつくから、彼のウソは底知れないのだ。ひょっとしたら彼は、自分がウソをついているという意識さえないのかもしれない。ある種の心の病なのでしょう。
 ところで映画瓦版のコンテンツが置いてあるサーバが近々閉鎖されるということで、自前でサーバを確保する必要に迫られている。ホスティング・サービスの料金は安くなっているとはいえ、月々数千円の出費にはなる。サービスの安定性や継続性ということを考えると、やはり大手業者の方が安心なので@niftyにしようかなぁと検討中。問題はそのための費用をどこから捻出するかだろう。現在は何しろタダなので、それが数千円とはいえ定期的な出費になるのは痛い。最近は広告収入も頭打ちなので(クリック数どころか、広告表示数まで減っている。近頃は広告を非表示にするソフトがいろいろあるしねぇ)、広告費をあてにしてサーバを借りるのはナンセンスだし……。広告収入は最盛期の3分の1ぐらいまで落ち込んでいる。僕の場合は3万円が1万円になる程度だからまだいいけど、この率で行くと大手業者は300万円の売上が100万円に、3千万円が1千万に売上ダウンしているということだから、まぁ死活問題でしょうねぇ……。これは景気不景気の問題というより、インターネットユーザーの意識変化の問題かなぁ。
 僕はバナー広告の落ち込み分をamazonでカバーしているけれど、全部が全部カバーできるわけでもない。バナー広告とamazonの売上を両方合わせて、収入は最盛期の7割ぐらいかなぁ……。amazonはこれからどんどん伸びると思うんだけど(現に売上は確実に増えているし)、純然たるバナー広告はどこかで撤退まで含めた再検討をする必要があるかもしれない。amazonのライブリンクでサーチ系のサービスが提供されるようになったら、現在のバナーの替わりにamazonのバナーを張ってもいいんだけどね。

7月15日(月)
 午前中にC誌の原稿を仕上げて入稿してしまう。この作業のため、メルマガの編集作業がほとんど手つかずのまま午後になる。
 午後はメディアボックスで『記憶のはばたき』というオーストラリア映画からスタート。ガイ・ピアースとヘレナ・ボナム・カーター主演の心理学的ミステリー。主人公の身に何が起きているのか、最後まで釈然としない、はっきりと断言できるだけの材料が与えられないという点が気になった。本当は人物回りの風景をもっとスッキリと抽象的に処理し、舞台劇風の演出にするべきだったのだろうけれど、ロケ撮影の舞台となったオーストラリアの風景があまりにも生々しすぎるのかもしれない。
 2本目は松竹でヴィスコンティの『白夜』。後半のプリントで音声にノイズが発生し、まるで近くでヘリコプターがホバリングしているような騒音の中で映画を観ることになってしまった。これじゃ映画の世界に没入できない。プリントはものすごくきれいだったけど。たぶんこれは今回の試写だけで生じた問題だと思う。運が悪かった。
 食事をしてから渋谷に移動し、シネカノンでケン・ローチの『ナビゲーター/ある鉄道員の物語』を観る。鉄道の路線保守の仕事が民営化され、労働者の雇用環境は悪化し、現場の技術レベルは低下し、最低限の安全確保さえままならなくなり、労働者たちは自分たちの生活を守るため人間性さえ失っていく。
 ヤフオクで購入した「スラヴ吸血鬼伝説考」が届いた。これは面白そうな本。現在は絶版になっているので、今回はいい買物をした。台風7号が接近中。明日午前中に関東地方直撃とのことなので、明日は試写を控えて部屋で仕事をしようと思う。

7月16日(火)
 午前中に台風接近。試写を観に行く予定を入れてあったのだが、暴風雨の中でわざわざ外出する気にもなれず、仕事も溜まっていたのでそのまま部屋で作業を続ける。午前中は主としてメルマガの編集と発行手続き。
 午後になってC誌編集部より入稿した原稿のダメだし。編集者と電話で話し、午後一杯かけて原稿を全面的に手直しする。手直しと言うより、全部書き直しみたいなものだなぁ。この作業が夜までかかったので、試写はおろか、月曜に観た映画の感想も書けないまま1日が終る。夜に原稿を入稿して、とりあえずこの仕事は一段落。

7月17日(水)
 午前中に月曜日に観た映画の感想を3本書いてしまう。なんだか最近、感想文をなるべく手っ取り早く書き上げようとしているような気がする。文章が荒れているなぁ。
 午後はシネカノンで小林政広監督の新作『歩く、人』からスタート。小林監督の映画は今のところ全部観ていると思うのだけれど、具象の中で抽象的な世界を描く独自の世界が出来上がりつつあるなぁ。今回の映画も、随所にすっとぼけたところがあっても面白い。今までの作品の中では、一番ユーモアが感じられる映画になっていると思う。
 2本目はメディアボックスで『プレイボール』というビデオ映画。ガレッジセール・ゴリが主演のコメディなんだけど、これがなんとも中途半端で、笑えもしなけりゃ泣けもしない。積極的につまらないわけでもなく、全体に冷め切ったぬるま湯のような感じ。
 手早く食事をしてから、6時からはGAGAでブルース・ウィリスとコリン・ファレル主演の『ジャスティス』を観る。これは監督にねばりが足りないんじゃないだろうか。話はそこそこ面白いんだけど、ポイントになるべきエピソードにメリハリがない。ただし話しそのものの面白さで、最後まで飽きずには観られる。登場人物がそろぞれ魅力的なのだが、演出の弱さもあって少々類型的に見えてしまったのは残念。
 サイトの引っ越しを考えているので、ホスティング・サービスを提供している企業のホームページをあちこち眺めているのだが、サービスにはけっこうバラツキがあるんだなぁ。@niftyはちょっと割高のようなので、他の企業と契約することになると思う。早くて9月頃かな。
 最近やたらと本を読んでいるので、サイトにも書評のページを作ろうかどうか思案中。でも映画の感想文ですらこれだけシンドイ思いをしているわけだし、この上書評など書き出したらますます時間がなくなってしまう。amazonの売上には直結しそうだけど、書評が仕事になるとは思えないしなぁ。これは今後の課題にしよう。
 黒澤明のDVDがぞろぞろ出るので、黒澤作品についてのサイトを作ろうと再度チャレンジ。DVD発売に合わせて、作品ごとの詳細データを入力していこうかな。本当はどこかの雑誌で特集でもやらせてくれるといいんだけど、どうもそういうことはないみたい。

7月18日(木)
 午前中に前日見た映画の感想文を全部。午後は東映で『スナイパー』の試写からスタート。ウェズリー・スナイプスがアメリカの銃社会に抵抗して、銃器メーカーの女性副社長を白昼の公園で脅迫するというサスペンス映画。中盤までは「主人公は何を考えているのか?」「彼の目的は何なのか?」というミステリーで物語を引っ張っていくのだが、終盤になって主人公の目的が本当のところよくわからないという欠点がある。
 2本目はヘラルドで『インソムニア』の試写。『メメント』で注目されたクリストファー・ノーラン監督の新作なので混むと思い、20分ほど前に試写室に到着。この時点で既に席は半分ほど埋まっていて、10分か15分前にはもう満席。映画は面白かった。脚本がなかなか良くできている。
 本当はもう1本映画を観るつもりだったのだが、面倒くさくなってしまって築地警察へ。道場をのぞいてからビックカメラへ。その後、銀座の天津飯店で夕食とって帰宅。

7月19日(金)
 午前中はC誌の原稿を書いて入稿。昼頃床屋に行って、頭をスッキリさせる。午後は映画の感想を2本書いてしまう。

7月20日(土)
 仕事をしていたはず。

7月21日(日)
 午前中はCS。午後は近所のスーパーで弁当買って昼食にし、3時半頃から隅田川でハゼ釣り。これが入れ食い状態。夕方までに30匹近くを釣り上げて帰宅し、天ぷら種用に下ごしらえ。近所の生協で発泡酒とチューハイを購入して、釣った魚を食べる。
 去年はほとんどリールで釣っていたし、先日も佃で釣った時はリールを使っていたのだが、今回は渓流竿でばかすか釣れた。もうちょっと長い竿も買ってみようかなぁ。

7月22日(月)
 午前中にP誌WEB版の原稿を完成させて入稿。月刊P誌の原稿も半分済ませてしまう。メルマガの編集はちょっと遅れ気味。一応コンビニでぴあは買ったが、午前中はここまで。
 午後はTCCで今関あきよしの新作『十七歳』を観たが、どよよ〜んと暗い気分にさせられてしまった。全体にギスギスした余裕のない映画で、主演ふたりも演技力に幅がないからそれが余計に強調されてしまう。学校でのイジメや管理教育のうっとうしさを映画にするなとは言わない。でも描き方には、もうちょっと工夫が必要なんじゃないかな。
 2本目はワーナーで『スクービー・ドゥー』。人気アニメの実写版だが、原作のアニメをよく知らないので面白さも半減。でも楽しい映画。出演者たちもみんな、楽しかったんだろうなぁ。
 簡単に食事をしてから、新橋のキムラヤでPDAや電子辞書を見ていた。電子辞書はいいなぁと思う。だいたい学生が辞書を引くのを面倒くさがる理由の最たるものは、目的の見出し語がなかなか見つからないということに尽きる。どんなに慣れていても、1語検索するのに数秒から数十秒かかる。慣れないと1分ぐらいは平気で時間がかかる。でも電子辞書なら検索時間は一瞬。しかも国語辞典・漢和辞典・英和辞典・和英辞典など、数冊の辞書を瞬時に切り替えて検索できる。学生は積極的に電子辞書の使用を考えた方がいいと思う。あと年寄りも。電子辞書なら表示する文字の大きさを変えられるしね。もちろんパソコンでも辞書検索はできるし、僕の場合はかなりいろいろな辞書や辞典をインストールしているから情報量は比較にならない。しかも僕はものを書く道具としてパソコンを利用しているので、電子辞書があったからといって活躍の場はあまりない。僕は電子辞書を見て「便利なものだなぁ」とは思うけれど、じゃあ自分で買うかというと買わないだろうね。でも知り合いに中学生や高校生の子どもがいれば、入学祝いや誕生日に買ってあげることがあるかもしれない。
 僕は電子辞書形式で、聖書が出たらすぐに買うけどなぁ。聖書本文(口語訳・新共同訳の続編付き・新改訳・英語聖書がKJVともう1種類ぐらい)が相互に参照できると便利だし、全文検索機能があればコンコルダンスにもなる。おまけで聖書辞典をつければいい。これで3万円ぐらいだったら即購入だ。旧約聖書略解と新約聖書略解を付けて5万円でもいい。辞書は基本的に、必要な時だけ本棚から持ち出して使うものだけれど、聖書を通読しようと思うと持って歩かなければならない。これは重くてしょうがないぞ。複数の訳が相互検索できると、文意を読みとりにくい箇所を相互検索して理解を深めることができるしね。でもこんなもの、出たら買うというのは僕ぐらいのものかなぁ……。

7月23日(火)
 メルマガの配信手続きをした後、映画の感想を書いてしまう。amazonを検索したら僕も一部の記事を執筆したAERAムック「キリスト教がわかる。」が購入できるようになっていたので、さっそくあちこちにリンクを張る。
  午後はワーナーで『パワーパフ・ガールズ・ムービー』からスタート。楽しいなぁ。そんだけ。2本目もワーナーで『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』を観たのだけれど、これはアリーヤが出演しているシーン以外はクズですな……。役柄としては脇なので、出演シーンが少ないのは残念。この映画のアリーヤには、『ハムナプトラ2』におけるザ・ロックと同じようなカリスマ性がある。この映画の後に『マトリックス』の新作にも出演が決まっていて、一部撮影もしていたというから、ここから一気に映画スターへの道が開けていく可能性もあったのに。死ななくてもいい人が、若くして死んでしまった。ちょっと残念。
 食事をしてから3本目は東宝で『モンテ・クリスト伯』を観る。これは面白かった。今日観た映画の中では一番面白かったかも。無実の罪で捕らえられていた男が、自分を陥れた者たちに復讐する有名な話だが、この映画は復讐劇というより、苦難の中で神を見失っていた男が、いかにして過去と決別して新しい人生に歩み出していくかという話になっている。主演のジム・カヴィーゼルがいい。この人はいつも、過去に受けた心の傷に苦しむ男を演じている。
 帰宅途中にスーパーで買物し、発泡酒を買って帰宅。今日は朝昼をちゃんと家で食べて、3時頃に小腹が空いたので立ち食いそばで盛りそばを食べ、さらに夕食も食べ、その上に帰宅してから飲んだり食べたりしていた。ちょっと食べ過ぎかも。

7月24日(水)
 午前中に前日みた映画の感想文を全部書ききる。午後は日本ヘラルド映画でSABU監督の新作『DRIVE』を観た。SABU監督の映画はたいてい主人公が最後に自爆して終るのだが、今回はハッピーエンド。もうこれだけで僕は嬉しかった。今までのSABU作品はどれも好きで好きでしょうがないという人にとっては、いつものSABU監督らしさが薄まったように感じるかもしれない。でも僕は今回の映画を、SABU監督の新しい一歩だと思う。いつも自爆して終る主人公のポジションを、今回は筧利夫が受け持っているということなのかもしれないけれど……。
 2本目はアミューズピクチャーズ試写室で『ジェイソンX/13日の金曜日』を観る。冷凍保存されたまま未来になって発掘されたジェイソンの遺体が、貨物船の中で解凍されて、ジェイソンと最後まで戦っていた女性科学者が再びジェイソンと戦うことになるという、SF仕立てになったシリーズ最新作。宇宙船の中のエイリアン、冷凍保存されたヒロイン、モンスターと戦う兵士たち、アンドロイドの大活躍といったアイデアは、すべて『エイリアン』シリーズの1,2作目からの借り物だろう。それでいて、映画がちゃんと『13日の金曜日』になっているのは、ジェイソンというキャラクターの強烈さゆえだと思う。ラストにはあ然。さして広くもない試写室がどよめきました。
 新橋に移動し、簡単に食事をしてから、徳間ホールで大林宣彦監督の新作『なごり雪』。駄目なところもたくさんある映画だし、不満なところや不可解なところはたくさんあるのに、それでも泣かされてしまった。
 大江戸線で帰宅。月島のスーパーでアイスクリームをまとめ買い。

7月25日(木)
 午前中から試写。朝10時に品川のアイマックスシアターで『シャクルトン奇跡の生還』を観る。映画が終ったら外は雨。小さな折り畳み傘を持っているので困りはしなかったが、それでも予想外の雨にちょっと戸惑った。
 渋谷に出て昼食を取り、まだ試写まで時間があるので献血センターで時間をつぶす。献血前に冷たい飲み物で喉をうるおし、献血の後も食べたり飲んだりしながら新聞を読んでいた。これが全部ただですからね。まぁ日赤は献血で得た血液を病院に売って利益を得ているわけだから、こちらとしてはこの程度の見返りがあっても当然かな。それに最近は400cc献血なので、血を抜いた後は水分を補っておく必要もあるしね。
 午後はシネカノンで『酔っぱらった馬の時間』からスタート。酔っぱらったのは馬ではなく、ロバだと思うんですけど……。2本目は六本木のGAGAでタイ映画『ジャンダラ』を観る。う〜む。原作は大衆小説(新聞小説)らしいのですが、最後に因果応報で主人公もまた不幸になっていくのが僕は不満だなぁ。これが仏教国のモラルというものか。引き続き同じGAGA試写室で『ジョンQ/最後の決断』の試写。アメリカ社会における健康保険システムの不備という問題から、1本のサスペンス映画を作ってしまうハリウッドの企画力。加えてそんなメッセージ性見え見えの企画に、生身の人間が持つ血肉を通わせた俳優たちの演技力。デンゼル・ワシントン演じる主人公が、息子に最後の言葉を伝えようとするシーンでは思わず涙が出た。小さな傷がないわけではない。でも僕はこの映画をすごいと思った。
 1日に4本の試写はさすがに疲れる。できればやりたくないなぁ。

7月26日(金)
 P誌の締切なので、午前中はそれにかかりきり。午後になってなんとか入稿し、その後映画の感想文を何本か書く。夜になってから六本木まで新作映画の試写を観に行く。「完成披露試写の前の一部マスコミ関係者向け試写です」とのことなので、何の映画を観たのかは伏せておく。8時から試写が始まって9時半過ぎに終了。六本木一丁目から帰宅したのだが、途中降りる駅を間違えてしまい、帰宅したのは10時半頃になってしまった。あ〜くたびれた。映画は楽しかったけど、英語の地口や駄洒落を使ったギャグは、日本語字幕じゃさっぱり面白さが伝わってこない。英語のサブタイトルまでギャグのネタにしていたけど、これはDVDで日本語版を作る時どうするんだろうか。

7月27日(土)
 午前中にNW誌の原稿を作って入稿。午後は映画の感想文を何本か書いた。でも全部は終らない。う〜ん。疲れる。

7月28日(日)
 今週はCSがお休み。午前中から残った映画の感想をとりあえず1本書く。さらに1本残して一度昼寝。最近夜は寝苦しくて、いつも寝不足気味なのだ。窓を開けたまま寝るとうるさい。締め切ると暑い。クーラーをかけると寒い。そんなわけで、いつも夜は眠りが浅くなってしまう。朝起きるとグッタリ疲れているというのはなんなんだ。
 夕方起きて残った映画の感想を1本書いてしまう。その後、買ったまま観ていなかった『ゴッドファーザー』のDVDを観る。特典ディスクだけは以前観ていたので、今回は1作目から順番に観ていくつもり。まずは映画をストレートに観て、その後コッポラの音声解説を聞きながら同じ映画を観直す。DVDによっては音声解説だけで何種類も付いているものがあるけど、あれはみんな聞いてるのかなぁ……。
 この映画についてはメイキング本「ザ・ゴッドファーザー」を以前買って読んでいたのだが、そこにも書かれていた監督解任事件、助監督解雇事件、マーロン・ブランドのスクリーンテスト、アル・パチーノの解雇事件、アル・パチーノとダイアン・キートンが恋に落ちるきっかけなどを、コッポラ自身の口から聞くのはまた違った雰囲気で楽しい。撮影や演出の段取りなど、画面を見ながら本人の解説を聞けるのは確かに便利だし、映画を勉強する人にとっても勉強になるだろう。コッポラがしばしば「監督たちに一言いっておくが」などと後輩の監督や映画製作者たちに助言めいたことを言っているのもおもしろい。「このシーンはジョージ・ルーカスが撮った」というシーンも結構あって、コッポラとルーカスの師弟関係が見えてきたりもする貴重な証言でした。この日はマイケルがシチリアで結婚式をするあたりで中断。続きは後日観るつもり。

7月29日(月)
 午前中にメルマガの編集。大雑把に見出しだけひろってから、記事を埋めていく。
 午後はアミューズピクチャーズで『セレンディピティ』の試写からスタート。 ジョン・キューザックとケイト・ベッキンセール主演のラブコメだが、主人公たちが目の前の結婚と過去の恋(とさえ呼べないような出会い)の間で揺れ動くという展開はなかなか身につまされた。まぁおとぎ話と言ってしまえばそれまでだけど、映画ならではのおとぎ話を、ちゃんと信じさせてくれるような誠実な作りになっている。これはなかなかよい映画です。
 2本目は京橋のメディアボックスで『TAMALA2010』というアニメ映画。これはなんだかすごいぞ。話がぜんぜんわからない。主人公は配給会社キネティックのタイトルロゴに登場する子猫のタマラ。彼女が主人公のSFなんだけど、台詞がめちゃくちゃに多い。押井守の映画より台詞が多い。前半は眠りこけそうになったけど、後半はがんばって起きていた。それでもまったくチンプンカンプン。すごいなぁ。
 食事をしてからFOXで『ウインドトーカーズ』の追加試写を観る。これは脚本が悪すぎる。ジョン・ウー監督はがんばっているけど、全編「山あり山あり」の脚本ではメリハリなど付けようがない。この脚本はもう1,2度リライトする必要があったと思う。魅力的な映画になるネタではあったが、それが生かし切れなかった。
 帰宅してから『ゴッドファーザー』のDVDで音声解説の続きを全部観る。この解説はじつに面白かった。何度も何度も、この映画が低予算であることを強調しているのが面白い。本来ならNGにするようなカットをそのまま使っていることが、監督の口から暴露されているのもおかしかった。 1作目の製作費は当初250万ドルだったものが、途中から原作のヒットを受けて650万ドルに増額されたのだとか。これに対して2作目の製作費は1100万ドル。これはずいぶんな違いだ。まぁ最近の映画に比べればずいぶんと安いけどね。
 『ゴッドファーザー』については昼間観た『セレンディピティ』の中で、ジョン・キューザックが台詞として引用していた。過去の強烈な出会いの記憶と現在の婚約を比較して、「この婚約は『ゴッドファーザーPART2』だ。 1作目より豪華で傑作かもしれないけれど、そのよさは1作目を観てみないとわからない」云々。この台詞がなぜ過去の出会いの素晴らしさを強調することになるのか、僕にはさっぱりわからないのだが、それでもこうした映画タイトルの引用などは面白い。それだけで映画ファンをニヤニヤさせ、映画を好きにさせてしまう効果がある。『暴力脱獄』も観てみようかな。

7月30日(火)
 午前中に映画の感想をすべて書く。午後は東映で大映配給の『金融破滅ニッポン/桃源郷の人々』を観る予定だったが、試写室が一杯で立ち見になるとのこと。最近根性なしになっているので、とりあえずビデオだけ預かってきた。このあとすぐに別の試写に回れば良かったのだが、試写がキャンセルになると「時間があいた〜」と嬉しくなって、プランタンの新本バーゲンをのぞいたり、ビックカメラで電子辞書やPDAを触ったりして時間を過ごしてしまった。その後役所に寄って国保の還付を受け、そのお金でハッピー買物券を1万円分購入して、築地のソニー試写室へ。『13ゴースト』を観たのだが、う〜むイマイチかな。
 もう1本試写を観ようかどうしようか迷ったのだが、迷ったすえに映画美学校でゴダールの『恋人のいる時間』を観る。前半すこしウトウトしてしまった。
 帰宅途中で築地に立ち寄り、12時過ぎに帰宅。シャワー浴びて寝る。

7月31日(水)
 昨夜は寝たのが遅かった。帰宅が遅かったのに加えて寝苦しく、寝付いたのは2時過ぎ。それで6時過ぎには起きるのだから完全に寝不足気味だが、仕方ない。どうも今年の夏は体調が悪い。生まれて初めての夏バテを経験しているのかもしれない。年かな。
 午前中に映画の感想を書き、午後はメディアボックスで『千年女優』の試写からスタート。これって星野之宣の短編コミック「月夢」(「妖女伝説」に収録)が下敷きになってるなぁ。伝説の女性のもとにジャーナリストが取材に行く。取材者本人とカメラマン。そこでその女性の生涯を聞く。話は千年以上前から現代まで、縦横無尽に時代を行き来する。「月夢」では八百比丘尼へのインタビューだったが、『千年女優』では女優へのインタビューになっているからSF的な色彩は薄れる。それでも「月夢」からの影響はありありとわかる。特に月のシーン。走り出した主人公が丘陵を超えて見たものは……、というシーンなどは「月夢」のままじゃないか。宇宙服のデザインも昭和40年代の東宝特撮映画というより、星野之宣のSFマンガだよなぁ……。
 2本目はシネカノンで『火星のカノン』。これはこれで面白いけど、特に多くを語る映画でもないなぁ……。3本目はパス。東急ハンズで12面のサイコロを買い、さくらやでAPSのフィルムを買ってから帰宅。



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